龍光院
さて、
前回は将門伝説の里 我孫子市日秀だったけれど今回は柏市の平将門スポットを巡る。
将門の井戸があるところから道を下ると、
お馴染みの手賀沼ふれあいラインに出る。
右にハンドルを切って、
自転車のペダルを漕いでいくとやがて左手に野球場が見えてくる。
今度は、
左折にハンドルを切ってペダルを漕ぐ。
野球場の脇を通り抜けると、
手賀あけぼの橋(手賀沼調節水門管理橋)近く。
橋を渡り手賀沼自然ふれあい緑道を走り、
適当なところで左手の畑に通る道を進んで突き当りの道を更に右に進む。
左手に将門通りの案内が出てくるので、
そこを進んで行く。
やがて、
左に将門神社が見える。
ここは、
真言宗 豊山派 龍光院が隣接しているというか敷地内に将門神社がある感じ。
龍光院の創立は、
長享2年(1488)とされる。
ここは、
以前に1度訪ねたことがある。
自転車で、
東葛印旛大師巡りをしていた時のこと。
ここには第6番と第73番の札所があるので、
訪れたわけである。
この龍光院には、
地蔵堂がある。
これは将門公の三女、
如蔵尼が一門を弔ったものと言われているようだ。
次女の如春尼、
という説もあるがどちらにしても将門公の娘である。
もちろん、
これも説ではある。
龍光院に古くから保存されている地蔵縁起版木版には、
この地蔵堂に祀られた地蔵尊像のことが書かれているようだ。
内容は一時期地蔵尊像が行方不明となり、
印施郡萩原村で発見されてしばらく経った安政3年(1856)に返還されたいうお話。
地蔵堂の右には、
岩井庚申塔群の標柱が立つ石仏群落がある。
宅地開発された時に、
集団移住してきたものなんだろう。
本来は集落のはずれの村の境目などに置かれた守り神の役割もあったというから、
元々あった場所にあるべきものなんだろうけどそういうわけにはいかないのは仕方がないことだ。
一番古いものは、
正徳二年(1712年)の青面金剛。
これは見ていて、
なかなか楽しい。
将門神社
それで今回のメインである将門神社は、
平将門公を祭神とした全国でも珍しい神社。
ただ、
その規模は日秀将門神社もそうだったがビッグ・ネームの割にかなり小さめ。
まず、
石の鳥居が龍光院の山門の隣にある。
そして、
岩井青年館の建物の軒下が参道になっているのが何とも言えない。
面白いつくりと言えば確かにそうなんだけれど、
もうちょっと何とかならないものなんだろうか?
だって、
平将門公を祭神とした全国でも珍しい神社なんだからねえ。
その参道らしきものを進み狭い石段を上がると、
狛犬に灯篭に手水舎。
灯篭には、
寛政十二年(1800年)庚申九月吉日の記述。
手水舎は、
文化十一甲戌年(1814年)十一月吉日だ。
両脇には、
石造物が散在している。
小さな社殿を抜けると、
決して大きいとは言えない本殿がある。
けどこの本殿、
小さいながらかなり素晴らしいのだ。
この本殿は、
安政6年(1859年)に再建したもの。
額束は石造で、
将門大明神。
両脇には、
本物の馬蹄があった。
基壇の部分には、
精巧な彫刻が施されている。
左面の胴羽目は、
高砂。
背面の胴羽目は、
放れ馬。
右面の胴羽目は、
金太郎と母。
奥から腰羽目の獅子と波、
木階下には鷹で浜床には亀と波。
いずれにしても、
この彫刻を見ているだけでも楽しめる。
雨風に晒されているので、
段々と劣化してしまうのは非常に勿体ない気がする。
でも、
それもまた当たり前の変化だから良いのかもしれない。
というわけで…
前回の将門伝説の里 日秀 ポタリング 相馬郡衙正倉跡~将門神社~将門の井戸に続いて、
今回は柏市の平将門スポット ポタリング 龍光院と将門神社を訪ねてみた。
こういうのが好きな人は好きだろうし、
全く興味のない人も大勢いるに違いない。
ボクも昔なら見向きもしなかっただろうけど、
今では意外に面白いと思うのだ。
地図を頼りに、
自転車で何か探し巡るという行為自体が先ず面白い。
そして、
こういったある意味非日常的な場所である意味芸術品を見るのがまた良いのだ。
そこには歴史や伝承もいろいろあって、
それを知るのも楽しい。
いろいろな要素がある歴史をめぐるポタリング、
時々自分の中でブームになることがある。
今が、
またその時のようだ。
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