我孫子市 根戸新田地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市根戸新田地区から。
根戸新田はこんなところ
我孫子市根戸新田は、
新田が付くからここもかつては手賀沼だったところだ。
船戸地区と根戸地区の南にある手賀沼沿いの部分が、
そうだ。
ここでも何回か出てきている、
手賀沼ふれあいライン沿いの菜の花やヒマワリの花畑になるところと蓮田のあるところ。
根戸新田地区 MAP
地図だと、
こんな感じ。
この根戸新田には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所84番の札所はない。
周辺スポットということで、
水神宮。
新四国相馬霊場八十八ヶ所38・43番の寿 延寿院からだと、
自転車で10分くらいのところにある。
根戸新田 水神宮
ハケの道を自転車で走っていると、
この水神宮が道の脇にある。
概要
創建年代は、
不詳。
根戸新田は寛文年代(1661-73年)に開発が始まり、
安永5年(1776年)の検地帳に記載されていることから江戸時代中期の創建と考えられるようだ。
水神宮 石造物など
社殿は手賀沼に向かって建っているので、
ハケの道からだと裏側になる。
そこに、
御根戸新田に鎮まりませる此大神は…と由緒書きらしき大正十四年(1925年)の石碑がある。
回り込むと、
木造の鹿島鳥居。
鳥居右手には、
4基の土に埋まってしまっている石塔。
1番右は文政十三年(1830年)のもので、
青の文字が見えるので文字青面金剛塔だろう。
次は安政二年(1855年)のもので、
十三と二十三と併記されているので十三・二十三夜塔だろう。
次が、
昭和二年(1927年)の天満宮。
1番左が、
安政二年(1855年)の吾妻大明神碑。
その先には、
これも半分以上土に埋まってしまっている明治二十五年(1892年)の手水鉢。
鳥居左奥には、
天保三年(1832年)とある不明の多分庚申塔だろう。
その奥には大正十四年(1925年)の富士山・立山・白山・出羽三山登拝記念碑と、
剥離で正面は読めないが側面に富士山とかの文字があるのでこれも出羽三山記念碑かも。
その奥には、
お堂。
社殿の中は、
こんな感じになっている。
色の付いた絵が掛かっているが、
何を描いたものなのか?はわからない。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
周辺スポットということで根戸新田地区。
新四国相馬霊場八十八ヶ所38・43番の寿 延寿院からだと、
自転車で10分くらいのところ
あれこれいろいろあるわけでもないが、
手賀沼沿いのちょっと気になる水神宮。
忘れ去られた感もあるが、
こういうものがちゃんと残されているのは何だか良いなと思った次第。
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