中里 薬師堂

中里 薬師堂

中里 薬師堂

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市中里地区周辺スポットということで中里 薬師堂

60番札所中峠不動尊からだと、
自転車で2分ほどで着いてしまう近さ

概要

中里 薬師堂

創建年代は、
不詳

ただ元は龍泉寺の旧地で、
天文年間(1532~55年)に龍泉寺が中峠へ移転し中里村が中峠村から分村した際に建立したという。

宝蔵院の境内に建立された仏堂らしいが、
宝蔵院は明治維新後廃寺となっていて薬師堂だけが今も残されているようだ。

境内

北向薬師堂とある、
平成八年(1996年)のまだ新しい山号塔がある。

中里 薬師堂

その先の塀沿いには、
子安堂

中里 薬師堂

お堂の中には、
年紀不明の子安地蔵

薬師堂は、
昭和六十二年(1987年)に改築されたもの。

中里 薬師堂

薬師堂内には、
薬師三尊と十二神将がある。

その説明板が、
手前に。

中里薬師堂薬師三尊及び十二神将像

薬師三尊像とは、
薬師如来と日光菩薩、
月光菩薩の三尊をいいます。
薬師如来は衆生を救うための十二の大願を立てて仏陀となりました。
日光、
月光菩薩は薬師如来を補佐する役割です。
十二神将は薬師如来の十二の大願に対応して、
薬師如来を信じる人々を守護するとされています。
また十二神将は、
薬師如来の分身とされたり、
薬師如来の眷属と位置つけられたりして、
後になると昼夜十二の時、
十二の日、
十二の月を司ると考えられ、
十二支と結びつくようになりました。
十二の神将の名称、
形など一定していませんが、
近世には、
この中里薬師堂にある十二神将像のように十二支をあて、
子神、
丑神、
寅神、
卯神、
辰神・・・とされることが多くなります。
我孫子市内では、
十二神将像十二体が揃っているところは、
ここだけであり、
大変に貴重な例です。
また、
江戸時代半ば過ぎから定型化する十二神将像の形であることから、
江戸時代後半に中里新田開発後、
中里地区の人々の信仰を集めて制作されたものと考えられます。
中里薬師堂のように薬師三尊像と十二神将像がそろって今まで伝来していることは、
地域の人々に深く信仰され、
管理されてきた証しでもあります。
現在薬師三尊像は厨子の中に秘仏として安置され、
年1度の祭礼の時に開扉されています。
この薬師三尊像と十二神将像は平成18年3月に我孫子市指定文化財(8号有形文化財)に指定されました。

2007年3月 我孫子市教育委員会

中里薬師堂薬師三尊及び十二神将像 説明板

訪れた時は当然見ることはできなかったが、
掲示板のところに写真があった。

中里 薬師堂

薬師三尊は、
令和二年(2020年)に5年かけて修復されたようだ。

そのことを、
薬師堂前の石碑で説明している。

中里 薬師堂

石造物

薬師堂手前の中里薬師堂薬師三尊及び十二神将像 説明板の手前には、
享和三年(1803年)の手水鉢

中里 薬師堂

手水鉢にくっついているのは、
文化六年(1809年)の社寺関係碑で奉納庚申講中二十二人とある。

中里 薬師堂

薬師堂のすぐ左脇には、
右から昭和二年(1927年)の善光寺参拝記念碑

真ん中は、
明治三十九年(1906年)善光寺如来碑

左は、
年紀も内容も不明の石祠

薬師堂左手には石造物がいろいろと並んでいる。

中里 薬師堂

1番左は文化四年(1807年)のもので、
新四國霊場と読める。

次は弘化四年(1847年)
しか読めないが多分文字庚申塔だろう。

その次は宝永三年(1706年)?
如意輪観音像中里村とある多分墓石なのでアップの写真はなし。

中里 薬師堂

真ん中は、
寛文六年(1666年)の聖観音立像

その隣は、
延宝七年(1677年)の墓石のようなのでアップの写真はなし。

中里 薬師堂

左は寛政五年(1793年)
右は寛文八年(1668年)如意輪観音像十九夜塔

中里 薬師堂

その右手には、
三列に並べられた石造物あれこれ。

中里 薬師堂

ざっと見ていくと、
こんな感じ。

一部墓石もある感じだが、
それらしきものは除いている。

文化十年(1813年)
西國秩父坂東百箇所供養塔

弘化五年(1848年)
二十三夜塔

享保十八年(1733年)
青面金剛塔

享保五年(1720年)
文字青面金剛塔

享保十四年(1729年)
青面金剛塔

左が宝暦九年(1759年)
右が年紀不明の青面金剛塔

文化八年(1825年)
文字庚申塔

基礎石に三猿という、
珍しいタイプ。

年紀不明
町村道中里宿…とある記念碑かな?

右は年紀不明で佛法無有差別 只住信力厚簿主願同行二十五人とある青面金剛塔
左も年紀不明の青面金剛塔か?

寛政十一年(1799年)
文字青面金剛塔

元禄十五年(1702年)
青面金剛塔

右は宝暦五年(1755年)六地蔵・十九夜塔
左は不明

左が明治十五年(1882年)阿夫利神社碑で、
右は明治三十年(1902年)伊勢太々御神樂碑

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
札所ではなくて中里地区の周辺スポット

60番札所の中峠不動尊からだと、
自転車で2分ほどで着いてしまう近さにある中里薬師堂

薬師堂内には、
薬師三尊像と十二神将像があるが年に1度しか見ることができない。

1度は見てみたいものだ、
と思う。

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