吉田地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は取手市吉田地区から。
第13番札所、
吉田 八幡神社。
吉田地区は、
東地区の東に位置する。
吉田地区MAP
吉田 八幡神社
概要
吉田 八幡神社、
境内にある社殿改築記念碑には創建が永禄元年(1558年)とある。
社殿改築記念碑
御祭神 誉田別命(応神天皇)
吉田八幡神社は、
吉田八幡神社 社殿改築記念碑
古く永禄元年八月の創建と伝えられている。
その後江戸時代の寛永年間に至り現在の吉田地区(寛永八年までは膳新田・後に雁金村・慶安二年に吉田村となる)の開発がすすみ村落が形成されてきたことに伴い、
寛永六年に村の氏神として奉祀し同十三年に本殿を、
寛文十一年には拝殿が建立されたと記録されている。
平成十二年(2000年)、
社殿改築。
社殿
その改築された社殿が、
こちら。
扁額。
中を覗かせていただくと、
こんな感じ。
拝殿・幣殿・本殿を横から見ると、
こんな感じ。
参道周辺
明治二十九年(1896年)の幟架の先にある鳥居は、
年紀不明。
扁額には、
八幡大神とある。
鳥居左手には、
道陸神。
これは、
安永三年(1774年)のもの。
大正八年(1919年)、
社寺関係碑。
その先には灯籠が一対あり、
玉垣に囲まれて待道大権現の石祠。
灯籠は、
文政十年(1827年)のもの。
石祠は、
文政四年(1821年)のもの。
参道を進むと、
新しい灯籠一対。
その先にも、
古い灯籠一対があるが年紀が離れている。
左手のものは、
文政七年(1874年)のもの。
側面には、
二十三夜講中。
右手のものは、
文化六年(1809年)。
側面には、
湯殿山講中。
脇には、
札所塔と道標。
更に、
進む。
拝殿前にも、
灯籠が一対。
そして、
狛犬一対。
これは、
明治十四年(1881年)のもの。
近くにある手水鉢は、
安政五年(1858年)のもの。
隣の富士・大山参拝記念で敷石十一枚奉納した石塔は、
大正八年(1919年)のもの。
隣にも富士・大山参拝記念塔があり、
そちらは昭和三年(1928年)のもの。
社殿周辺
拝殿前には、
伊勢講碑や富士・大山講碑。
手前から昭和四年(1929年)、
大正十三年(1924年)・六年(1917年)のもの。
こちらは、
大正五年(1916年)。
更に二基、
明治三十二(1899年)・明治四十年(1907年)のもの。
更に、
その脇にも参道に向かっていくつか。
明治七年(1874年)の富士浅間大山石尊碑に文久二年(1862年)尾鑿山碑、
年記不明尾鑿山碑に明治二十九年(1896年)富士山・石尊山碑。
社殿周辺には、
石祠がいくつかある。
まずは、
天神宮・水神宮。
これは、
明和五年(1768年)のもの。
年紀不明、
稲荷社。
こちらは、
天満神社。
かなり古くて、
天和二年(1682年)のもの。
こちらは、
三峯神社。
これは、
文政十年(1827年)のもの。
13番
新四国相馬霊場第十三番大師堂は、
社殿左手にある。
写真左下の手水鉢は、
正徳二年(1712年)のもの。
中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。
奥には、
弘法大師像が2基。
その手前には、
光音禅師像。
明治四十二年奉納、
札所額。
こちらは、
御詠歌額。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市吉田地区から。
新四国相馬霊場第13番札所、
吉田 八幡神社。
庚申塔は見当たらないのが残念だが、
石祠や伊勢講碑などがいろいろ見られる。
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