吉田 本泉寺
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は取手市吉田地区から。
第7番札所、
吉田 本泉寺。
概要
正式には、
大清山心光院本泉寺。
明暦元年(1655年)、
新願寺として開山。
同じ年に取手本願寺の末寺となった際、
寺名を変更して今の本泉寺に。
山門前の石造物
山門前右手には、
新四國第七番とある札所塔。
これは、
安永五年(1776年)のもの。
左手には、
年紀不明の道標だろう。
そして、
庚申塔が3基。
左から、
文字青面金剛塔。
基礎台には、
講中二十七人とある。
これは、
天保三(1832年)年のもの。
真ん中は、
文政十一年(1828年)の文字庚申塔。
基礎台には、
三猿。
右端は、
文字青面金剛塔。
これは、
文化七年(1810年)のもの
参道右手の庚申塔
中に入ると、
左手に庚申塔が二列でずらりと並んでいる。
前列の左から、
嘉永二年(1849年)の二十三夜塔。
次が、
聖観音像。
これは、
文久三年(1863年)のもの。
次は、
三面馬頭観音像。
これは、
文化四年(1807年)のもの。
次が、
聖徳太子像。
これは、
寛政十二年(1807年)のもの。
続いて、
三猿庚申塔。
これは、
貞享元年(1684年)のもの。
前列最後が、
文字庚申塔。
これは、
弘化二年(1845年)のもの。
続いて青面金剛塔と、
隣が延享二年(1745年)廻国塔。
青面金剛塔は、
元禄十二年(1699年)のもの。
それにしても、
かなりきれいに残っている。
青面金剛は、
お顔も身体も状態が良い。
更に邪鬼も二鶏も三猿も、
どれもきれいだ。
後列、
青面金剛塔。
これは、
享保二十年(1735年)のもの。
これも状態は、
かなり良い感じ。
続いて、
文字青面金剛塔。
これは、
天明八年(1788年)のもの。
次は、
四十八夜塔で貞享四年(1687年)のもの。
次が、
如意輪観世音像。
これは、
寛文六年(1668年)のもの。
そして後列最後は、
二十三夜塔で嘉永二年(1849年)のもの。
この二列とは少し離れてあるのが、
十九夜塔。
これは、
延享四年(1747年)のもの。
参道左の大日如来像周辺
参道右手には、
天和三年(1683年)の地蔵2基。
その奥に、
大日如来像。
これは、
延宝七年(1679年)のもの。
周りにも、
いろいろある。
手前は、
出羽三山供養塔。
これは、
享和三年(1803年)のもの。
その奥は、
いわゆる百番巡拝塔2基。
安政六年(1859年)と、
弘化二年(1845年)のもの。
大日如来像の左には、
やはり百番巡拝塔。
これは、
文政八年(1825年)のもの。
7番
さて、
新四国相馬霊場。
第七番の大師堂が、
こちら。
手前には、
文化四年(1807年)の三界萬霊塔がある。
右地蔵堂札所ミち三界萬霊七番札所左八幡宮札所ミち、
とある。
大師堂には、
札所額が掛けられている。
こちらは、
御詠歌額。
よく堂の中にあるものも多いが、
ここではどちらもきちんと掛けられている。
堂内は、
こんな感じ。
大師像は、
ガラス越しに見るだけ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市吉田地区から。
新四国相馬霊場第7番札所、
吉田 本泉寺。
ここには古くは寛文六年(1668年)の如意輪観音像に始まり、
庚申塔がいろいろあってなかなか見応えがある。
特に元禄十二年(1699年)の青面金剛塔は、
状態も良く素晴らしい。
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