白山 金刀比羅神社
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
今回は、
取手市白山地区から金刀比羅神社を訪れる。
この金比羅神社には、
相馬霊場を開いた観覚光音禅師を奉る光音堂がある。
光音禅師は、
晩年ここで余生を過ごしたと言われている。
長禅寺にも光音堂はあるが、
元々長禅寺はこの場所にあったのだ。
江戸時代に水戸街道が整備され、
長禅寺は現在の取手駅前へ移っている。
三代の鳥居
この金比羅神社とは少し離れた所に、
金比羅神社の鳥居がある。
現在のものは、
平成二十七年(2015年)のもので新しい。
その前のものは、
石台と柱の一部が残っている。
東日本大震災時にひびが入ってしまって、
撤去したらしい。
更にその前のものもあって、
盃状穴が見られる。
金比羅神社境内
裏参道?から入ると、
両脇には石祠が並んでいる。
先には、
石灯籠。
この石灯籠は、
安永九年(1780年)のもの。
その先、
左には手水舎。
手水鉢も石灯籠と同じで、
安永九年(1780年)のもの。
右手には、
稲荷神社。
赤い鳥居の先は、
こんな感じ。
中をのぞかせていただくと、
こんな感じ。
参道を先に進むと、
左手に社殿。
周辺には、
いくつもの石祠や木祠が並んでいる。
社殿の中を、
覗かせていただく。
社殿の前には、
明治四十一年(1908年)の石灯籠。
もう片方は、
文政七年(1824年)のもの。
四國讃岐金比羅大権現移、
とある石塔。
そして、
鳥居がある。
その先には、
狛犬。
石段を下りると、
左手が光音堂で左手が参道。
手前に写っているのは、
相馬霊場開基光音大禅師とある歌碑。
三神の威徳のます井なり
大師の利益くむぞ
うれしき
左に写っているのが、
光音井戸だろう。
他には、
安永九年(1780年)の手水鉢が二基。
寛文十二年(1672年)、
青面金剛塔。
その隣には、
寛文五年(1665年)三猿庚申塔。
慶応二年(1866年)、
弘法大師供養塔。
明治三十八年(1905年)と、
大正十四年(1925年)の寺社関係碑。
光音堂
こちらが、
光音堂。
御詠歌額には辞世の句、
日々に運び歩みの後消えて行くとも知らずもとのすみかへ
中は、
こんな感じ。
天明三年(1783) 十二月十七日光音禅師は天命を全う、
享年七十三だった。
彫刻が、
なかなか素晴らしい。
周辺には、
大正四年(1915年)の石灯籠。
奥に大正四年(1915年)、
寺社関係碑。
文化七年(1810年)、
聖徳太子像。
昭和十年(1935年)、
弘法大師供養塔。
年紀不明、
香炉。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市白井地区から。
四国の金比羅宮から光音禅師の移しによる、
白山 金刀比羅神社 光音堂を訪れた。
光音禅師は、
晩年ここで余生を過ごしたと言われている。
決して広いわけではないのだが、
いろいろと石造物もあってなかなか見ごたえのあるところだった。
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