吾妻勝彦: 大きな木の下の生命 第23回我孫子アートな散歩市–P1

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P 水の館 P1 吾妻勝彦: 大きな木の下の生命

吾妻勝彦
大きな木の下の生命

木材・ペンキ

人とその他多数の生命の共存を単純ではないと制作します。
(クマと牛を並列で置いてみる)

―吾妻勝彦: 大きな木の下の生命 説明パネル

今回の『第23回我孫子アートな散歩市』は、
水の館前の親水広場に現れた吾妻勝彦さんの作品『大きな木の下の生命』。

共存

そもそも、
共存という発想は人間が自分勝手につくった言葉であり概念なのではないだろうか?

人間以外で、
共存なんていう意識はきっと持っていないはずだもの。

共存なんて人間の勝手な言い訳であり、
ただの奢りだ。

少し前、
日本でクマが牛を襲う事件が相次いだ。
牛を襲ったクマは、
人間の敵になった。
しかし、
私は制作する作品の中で、
お互い日々を暮らす、
命として作りたいと思いました。

ある日のニュースで、
ウクライナの若い兵士が、
”いま、羽根が欲しい”と言った。
羽根があれば僕はどこへでもいけるし、
僕は自由だ。

―吾妻勝彦 大きな木の下の生命 説明パネル

なので、
人間の敵になったクマと牛。

お互い日々を暮らす命として作品をつくるということに、
非常に共感する。

クマが、
I Love You。

クマに、
I Love You。

牛が、
I Love You。

牛に、
I Love You。

じゃあ人間は、
どうだろう?

自分たち以外にも、
I Love You だろうか?

自分や自分の周りには、
I Love You かもしれない。

ある場面では牛には I Love You でも、
クマには I Love You ではなかったりする。

ある場面では、
クマにも I Love You かもしれない。

それ以外も、
場面場面で異なるかもしれない。

ある場面では、
同じ人間でも I Love You が不足する。

国が違う、
人種が違う。

信じる神が違う、
立場が違う。

何かの違いで、
I Love You が不足する。

I Love You の不足は、
差別や戦争まで生み出してしまう。

それは関わる全員の I Love You 不足が原因ではなく、
一部の不足が招くものだ。

本来、
I Love You は自分以外の全てに向かって発せられるべきなのに。

本来、
I Love You は自分以外の全てから受けられるべきなのに。

まあそう簡単にうまくいくものではないか、
でもうまくいかなくても思っていることも大事なのだ。

我孫子アートな散歩市 吾妻勝彦過去作品

さて、
この場所で吾妻勝彦さんの作品を見るのは4回目になる。

Episode

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少し前のことになるけど、
吾妻勝彦さんからボクの撮った写真を使わせてほしいという話があった。

なんでも作品集を出版するにあたりご本人の撮った写真がピンボケが激しかったらしく、
デザイナーの方からここの写真の使用許可が欲しいとのことだった。

第21回 我孫子アートな散歩市、
作品『空と風と大地のあいだで』のものだ。

katsuhiko-azuma2

もちろん、
創作したご本人の作品を撮らせて頂いた写真だからデータを送らせて頂いた。

でも残念なことにその後どうなったのか?は、
わからない。

作品集が出版されたのか?
ボクの写真が使われたのか?はわからない。

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まあ調べればわかるのかもしれないけれど、
すっかりそのままにしてしまった。

でも実は、
この後旧村川別荘に行くとわかることにはなるんだけどそれはそちらで。

第23回我孫子アートな散歩市 他の作品はこちら

手賀大橋下・隧道

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