世界一有名な夫婦だった2人の展覧会
世界で1番有名な夫婦といえば誰を思い浮かべるだろうか?
やはりジョン・レノンとオノ・ヨーコを思い浮かべる方が多いのではないだろうか?
そんな2人の言葉や作品やさまざまな展示品でその歴史を辿れるのが、10/9ジョンの80回目のBirthdayからスタートした『DOUBLE FANTASY John&Yoko』だ。
記念すべき1st Postはこの展覧会のフォト・レポートからにしよう。他で数回に分けて簡単に書いたものをリニューアルしたものだ。
もともとはリバプールで開催されたものを東京に
この『DOUBLE FANTASY John&Yoko』はもともと2018年5月~2019年11月までジョンの故郷イギリス・リバプール博物館で開催されたもの。
かなり好評だったらしく、最初の開催予定期間を7ヵ月も延長、1年半で延べ70万人もの人が訪れている。
そしてジョン・レノン生誕80年、没後40年という節目の今年2020年、今度はヨーコの故郷である東京で開催しているのだ。
東京展の方は2020/10/9(金)から2021/1/11(月・祝)と3か月余りと短い。
ジョンやビートルズのファンや音楽好きの人はもちろん、世界一有名な男女の軌跡に興味がある方や夫婦の絆って何なんだろう?なんて考えている(なんていう人はいないか)方などなど、まあいろんな方に見てほしいものになっている。
フォト・レポート
さて始まりは会場入口前の1941年の太平洋戦争、そして1945年の終戦、更に1966年のビートルズ来日の写真。
ジョンは1940年、ヨーコは1933年の生まれ。2人がまだ子供の頃に何が起こっていたのか?から始まるわけだ。
~1966年 2人が出会うまえ
中に入ると2人が出会う1966年までのそれぞれの歴史が簡単な年表と写真で紹介されている。
白い壁にはアルバム『Mind Games』に入っている『You Are Here』の歌詞が書かれている。
スタートにこれを持ってくるなんてなかなか良い感じだ。
♫From Liverpool to Tokyo
What a way to go
From distant lands one woman one man
Let the four winds blow♫
リヴァプールから東京まで
なんて長い道のりだ
遠く離れた国からきた男と女
四方八方風よふけ
その先のガラスケースにはそれぞれの展示品が飾られている。
ジョンのコーナーで目を惹くのはやはり『The Daily Howl』だ。
1955年、彼が15歳の時の手作りの本。
中身がどうなっているのか?当然見たくなるが、ちゃんと横のモニターで内容が紹介されているのが嬉しい。このスタイル、とても良い。
DOUBLE FANTASY John&Yoko
一方ヨーコの方には、1964年に東京で500部限定で出版され、後にジョンに贈られた『Grapefruit』が中央奥に展示されている。
ジョンの『Imagine』の歌詞に直接影響を与えたとされているコンセプチュアル・アート・ブックだ。1955年から描き集められたもので、日本で作られた作品が大半を占めている。
随分後のことだけれど、このブックのタイトルの意味を本人が語っている。
グレープフルーツはレモンとオレンジのあいの子です。
ちょうど私の頭がアジアと西洋のあいの子のように。
1966年 そして2人は出会う
次のスペースには1966年11月7日、ジョンとヨーコが出会ったインディカ・ギャラリー関連のものが展示されている。
1966年といえばビートルズが武道館で演奏した年だ。そしてライブ活動を停止した年でもある。アルバム『Revolver』がリリースされた年でもあり『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のセッションが始まった年でもある。
ある意味ビートルズに転機が訪れた年。そんな頃にジョンとヨーコは出会ったわけだ。
さて、ニューヨークを拠点とする前衛芸術運動『Fluxus(フルクサス)』の一員だったヨーコは、ロンドンのインディカ・ギャラリーで個展『Unfinished Paintings and Objects(未完成の絵画とオブジェ)』を開く。
知人のジョン・ダンバーが経営するインディカ・ギャラリーにジョンがふらりと訪れ、そこに展示されていたヨーコの作品に感銘を受け次第に彼女に惹かれていくという、2人の最初の有名な出会いのエピソードが生まれた時だ。
もちろんここに展示されているのは当時のものではない。ただ当時のものであるかどうか?ということに意味は殆どない。時間と材料が違うだけのことだ。
最初に展示されているのが『White Chess Set(自分の駒の場所を覚えている限り永遠と続けられるチェス・セット)』。
ボードも駒もすべて白くなっていることでプレイヤーは自分の駒を追い掛けけることができなくなる。チェスの戦闘的要素を排除しているわけで、平和主義の象徴みたいなものなんだろう。
この白いチェス・セットを使っている2人の写真や、写真と同じようにジョンが『you are here』と書いたという丸いキャンパスがこのセットの置かれた壁に再現されている。
次は床に置かれたキャンバスを鑑賞者が踏みつけることで完成する作品『Painting To Be Stepped On(踏まれるための絵画)』。
何となく真っ白なキャンバスを踏みつけるのに抵抗があったから、自分の影をそこに映して写真を撮ってみた。
そして2人の出会いのエピソードを象徴する作品、脚立を登って虫眼鏡で天井の絵を見る作品『Ceiling Painting(天井の絵)』
実際は絵ではなくて小さく書かれた肯定的な言葉『yes』なわけだけれど、これがジョンの心に響いたという作品だ。登ることができるともっと良かったけどね。
次は鑑賞者がキャンバスに自由に釘を打ち付けられる作品、『Painting to Hammer a Nail(釘を打つための絵)』。
オープン前の真っ白なキャンパスに釘を打つには5シリングが必要と言うヨーコに対して、想像の5シリングを渡すから想像で釘を打っても良いか?と尋ねたというエピソードもまた有名だ。
DOUBLE FANTASY John&Yoko
更に『Apple(リンゴ)』。ジョンがこの展示されているリンゴを齧ったのを見てヨーコが怒り、それを見たジョンがもじもじしながら謝ってリンゴを戻すというエピソードがあったっけ。
こうやって今までさんざん活字で読んできたエピソードの作品が、当時のものではないにしても目の前にあるというのはなかなか面白い体験だった。
1967年 愛は育まれる
次のスペースの始まりには、ジョンの眼鏡とヨーコのサングラスが向き合っているというもの。
この展覧会を象徴しているかのようだ。
前回のインディカ・ギャラリー関連のスペースは1966年だったが、ここからは1年毎に歴史が進んでいくことになる。
DOUBLE FANTASY John&Yoko 2人のサングラス
1967年はビートルズがアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』をリリースした年だ。
ガラスケースの中にあるこのアルバムの収録曲『Being For The Benefit Of Mr. Kite!』の元になったサーカス公演のポスターが目を惹く。
このポスターは1967年『Strawberry Fields Forever / Penny Lane』のプロモーション・フィルム撮影時に、ジョンがアンティーク・ショップで見つけて購入した1843年のパブロ・ファンクのサーカス団のポスター。
この曲の歌詞の大部分は、そこに書かれている宣伝文句をそのままちゃっかりと引用している。
1968年 トゥー・ヴァージンズ
1968年、当時のジョンの奥さんだったシンシアが旅行中のこと、ジョンはヨーコを自宅に招く。
その時に録音したのが『Unfinished Music No.1: Two Virgins(「未完成」作品第一番トゥー・ヴァージンズ)』。
DOUBLE FANTASY John&Yoko 1968
まあレコーディングされた内容よりもジャケットの方が有名だろう。さすがに会場にはその写真は出ていなくて後ろ姿のものが大きく引き伸ばされたものだけで、リリース当時の2人の顔だけ印刷された茶色のカバーのものが展示されていた。
やがて2人は同棲を始め、ジョンはシンシアとの離婚が成立する。初めて行った共同イベント『Acorn Peace(平和のどんぐり)』もこの年だ。
1969年 結婚という形へ
ポール・マッカートニーとリンダ・イーストマンが結婚した1969/3/12から遅れること8日後の3/20、二人はイベリア半島南東端に突き出した小半島を占めるイギリス海外領土、ジブラルタルで結婚式を挙げる。
ここでは2人の結婚証明書やその時の衣装が展示されていて、ジョンの白いジャケットはピエール・カルダンのものだった。
結婚式後の3/26〜31、二人はアムステルダムのヒルトン・ホテル702号室(現在902)で、平和活動のパフォーマンス『Bed In(ベッド・イン)』を始める。
1969年5/26〜6/1には2回目のパフォーマンスが、カナダのモントリオールのクイーン・エリザベス・ホテル1738号室と1742号室で開かれる。
この時に後にシングルでリリースされた『Give Peace a Chance』のレコーディングが行われる。
ここでは、ベッドが再現され、この時に使っていたジョンのイラストが描かれたギブソンのアコースティック・ギターや歌詞、メッセージ・ボードが展示されていた。
1970年 ビートルズの終焉
1970年、ジョンはロンドンのARTS GALLERYで個展『BAG ONE』を開催している。
その時に発表されたリトグラフとセットの白いポートフォリオ・バッグなどが展示されていた。
1970年はポールが4月10日にイギリス大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズ脱退を発表した年だ。そして12/30にアップル社とビートルズの他3人を被告にビートルズ解散とアップル社共同経営関係解消の訴訟を起こす。
この頃二人はアーサー・ヤノフが考案した原初療法を受けている。そしてその影響でつくられたという『Mother』を含むジョンの1stソロ『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』がリリースされる。
1971年 政治的活動へ
1971年2人は活動の拠点をアメリカのニューヨークに移して反体制活動家やミュージシャンと知り合い政治的活動を繰り広げていく。
ジョン・シンクレアの救済コンサートやアッティカ刑務所の入所者家族のための慈善コンサートに出演したりデモ行進に参加するなど、その活動はFBIの監視を招くことになる。
革命をテーマにした曲『Power to the People』がリリースされる。武力革命に対して肯定的でもあり否定的でもあり、結局はどっちつかずのある意味ファッションみたいなものだったのかもしれない。
そしてアルバム『Imagine』がリリースされる。
更に年末には『Happy Xmas(War Is Over)』が流れることになる。
1972年 転換の年
1972年には最も政治的の濃いアルバム『Sometime in New York City』がリリースされる。
ここでは『NEW YORK CITY』のノースリーブTシャツとか、
ミリタリー・シャツUS ARMY OG107とかが実際にジョンが来ている写真と共に展示されている。
1973年 失われた週末
1973年、『Lost Weekend(失われた週末)』。
ジョンとヨーコは別居しジョンは2人の個人秘書だったメイ・パンと共にLAで過ごし始める。そう仕向けたのはヨーコだったみたいだ。強い精神力の持ち主なんだろう。
年末近くになるとアルバム『Mind Games』がリリースされる。
この頃のジョンはヨーコと居られないことで毎日酒浸りの日々。このあたりは展示品はなく写真と彼らの言葉で埋められた細い通路となっている。
この時期はポールとのセッションやジュリアンと会うようになったとりエピソードは沢山あるんだけどね。
何しろこれはジョンとヨーコ展だから仕方がないことだ。ただこの時期のジョンの活動っぷりは決して失われたというものではなかったよな。
唯一ジョンがヨーコに贈ったという手鏡が展示されていた。
1974年 失われた週末が終わる
そして1974年にはアルバム『Walls and Bridges』がリリースされる。
1974/11/28ジョンはNYのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトン・ジョンのライヴに飛び入りで参加。
会場にはヨーコが来ていて(ポールが飛び入り参加のことを教えたらしい)再会して間もなく失われた週末は終わる。
この時期がなかったらきっと2人の関係は違ったものになったかもしれない。結局ヨーコが主導権を握っていた関係なのかもしれない。
1975年 そしてショーン・レノン誕生
1975年1月に2人は元の鞘に戻る。
そして10/9ジョンの誕生日でもある日にショーン・レノンが誕生する。
1976年 ジョンは主夫生活に
1976年には念願だったアメリカの永住権を取得。その時のグリーンカードが展示されている。
そしてジョンは主夫生活に入っていく。その頃ジョンがショーンを育てる時に使っていた抱っこ紐が展示されていた。亡くなった時のエピソードが色々思い浮かんできた。
1980年 瞬間的なジョンの復活
1980年ウイングスの日本公演が中止になった年、5年間の主夫生活を終えたジョンは『Double Fantasy』をリリースする。このアルバムの中の曲の直筆の歌詞が並んでいる。
レコーディングに使われたあの変わった形のサードニクスのギターも展示されていた。
日本とジョン
そして今回の東京展限定の展示は、度々訪れていた軽井沢での家族写真とその時着ていた洋服。この時の写真は何度も見たことがあったけれど実物がちゃんと残っている。
ジョンが日本語を学ぶ為に書いた日本語練習帳とも言えるスケッチ・ブックのオリジナル原画。
味覚の表現や曜日などがローマ字で書かれイラストが添えられているのだがこれがなかなか楽しい。
Ending
そして階段を上がると映像シアター。
大きな画面に『Imagine』のプロモーション・フィルムが流れている。
ここを抜けると1985年に2人が住んでいたダコタ・ハウスに近いニューヨークのセントラル・パークに誕生した『ストロベリー・フィールズ』の中心にある『Imagine』の円形モザイクの再現。
改めてもうジョンが居ないことを思い知る。でもまあいつでも心には居るからね。
展示が終わると、ここでしか販売されないものを含むショップが併設されている。
残念ながら展覧会公式図録は間に合わず予約販売になっていて11月初旬から届くらしい。
会場外からでも安心して公式グッズが購入できる期間限定オンラインショップもあって、こちらはチケットに付いているシリアル番号を入力すると購入できるシステムになっている。
ミュージアムショップを抜けた先の別室にはイマジン・ピース・キャンペーン紹介コーナー。
メッセージを書いて吊るす『Wish Tree(願かけの木)』があったり、
メッセージを貼るスペースがあって、これで展示は全て終わる。
感想
それにしてもジョンは生きていた年月よりも亡くなってからの方が長くなってしまうんだな。
そして2人が一緒に過ごした時間は延長されることもなく1966/11/7から1980/12/8までで止まってしまったけれど、違う意味で二人は今も一緒に居るのかもしれない。
そんなことを2人の軌跡を辿りながら感じた。
殆どが知っていることばかりだったが、やはり活字や写真とは違って目の前に展示されていると全然違う。
ここでは紹介していないモニターに流れる映像や白い壁に書かれた言葉の数々を見たり読んだりしていると、あっという間に時間が過ぎていく。時間をつくって足を運んでみる価値ある展覧会だった。
開催概要
最後に開催の概要を。
開催場所と会期
開催されているのは2019年スヌーピー・ミュージアムの跡地にオープンしたソニーミュージック六本木ミュージアム(東京都港区六本木 5-6-20)。
東京メトロの六本木駅より徒歩7分、麻布十番駅より徒歩10分のところにありアクセスはとても良い。
会期は2020年10月9日(金) ~ 2021年1月11日(月・祝)
日~木曜日:10時~18時
金・土曜日:10時~20時
祝日:11月3日(火)、23日(月)10時~18時
1月11日(月)10時~20時
※最終入場は閉館30分前まで
休館日
12月31日&1月1日
チケットは基本ローチケ
チケットは今ではもう当たり前になったWeb予約制。前売・当日券ともにローチケで販売。
一般は前売り2,500円、当日2,600円。
平日は日にち指定、土日は日時指定方式となる。
11月からは当日券が会場窓口販売のみとなるようだ。
12月はジョンの亡くなった日12/8(火)のみ時間指定で他は日にち指定のみ。
当日券は前売券の販売状況に余裕のある場合にのみ販売するみたいだが、そこまで混むことはないような気がする。
コメント
こんにちは!○○の中が色々と出てくるといいですね(^^)
楽しみです。
あすてかさんこんにちは。
さっそくいらして下さってありがとうございます。
またこんなところをつくってしまってしまいました。
またいらして下さいね!