
江蔵地地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市江蔵地地区から周辺スポット。
江蔵地地区はこんなところ
江蔵地は、
えぞうちと読む。
そのまま読めばよいだけなのだが、
意外に読めないかもしれない。
江戸期は、
江蔵地新田だったらしい。
享保4年(1719年)、
布川村(現茨城県利根町)から分村。
地名はえと(河口)・ふち(縁)の転訛、
利根川に小貝川が流れ込む河口沿いの地という意味か。
江蔵地MAP
地図だと、
こんな感じ。
利根川沿いにあって、
向こう岸はちょうど小貝川が利根川に流れ込んでいる。
江蔵地 三叉路の庚申塔
今回は、
その江蔵地地区の三叉路に並んでいる庚申塔。
前回の布佐 一里塚跡からは、
自転車で7分くらいのところ。
直線距離だとすごく近いんだけど、
少し先まで行って坂を下りて戻って行く感じなので多少時間がかかる。
江蔵地 庚申塔

水田の広がる三叉路には、
5基の庚申塔が並んでいる。

元々はどれもここにあったもではなくて、
あちこちから集められたものなのかもしれない。
右から、
文化三年(1806年)文字青面金剛尊塔。

享保十年(1725年)、
青面金剛像塔。

これは、
六臂合掌スタイルのものだ。

邪鬼と三猿も、
わりとハッキリ。

文政八年(1825年)、
文字青面金剛尊塔。

宝暦十年(1760)、
青面金剛塔。

1度中折れしたものを、
修復した感じだな。

これも六臂合掌スタイルで、
邪鬼と三猿もわりとハッキリ。

安永七年(1778年)、
文字青面金剛王塔。

というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング、
今回は我孫子市江蔵地地区。
前回の布佐 一里塚跡からは、
自転車で7分くらいのところ。
直線距離だとすごく近いんだけど、
少し先まで行って坂を下りて戻って行く感じなので多少時間がかかる。
青面金剛塔が5基並んでいるが、
文字青面金剛塔の下には三猿がきっといたはずなのに今はないのが残念だ。
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