徹底解説!没後50年 藤田嗣治展

没後50年 藤田嗣治展

藤田嗣治展

今回は今上野の『東京都美術館』で開催されている、『没後50年 藤田嗣治展 Foujita: A Retrospective ― Commemorating the 50th Anniversary of his Death』。

藤田嗣治(1886年11月27日 – 1968年1月29日)が癌でスイスのチューリッヒで亡くなってから50年、120点余りの作品が集められた大規模な回顧展だ。

構成

藤田嗣治展

構成は8章から成っていて、こんな感じになっている。

Ⅰ原風景―家族と風景

Primal Landscapes–Family and Surroundings

Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで

Early Paris Day–The First World War

Ⅲ 1920 年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿

Self-Portraits and Portraits of the 1920s–Faces of the Times

Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代

The “Milky White Nudes” Era

Ⅴ 1930 年代・旅する画家―北米・中南米・アジア

Artist on the Move–The 1930s in North America, Latin America, and Asia

Ⅵ-1 「歴史」に直面する―二度の「大戦」との遭遇

Face to Face with History–Encounter with the Second “Great War”

Ⅵ-2 「歴史」に直面する―作戦記録画へ

Face to Face with History–The War Paintings

Ⅶ 戦後の20 年―東京・ニューヨーク・パリ

The Last Twenty Years–Tokyo, New York, and Paris

Ⅷ カトリックへの道行き

Path to Catholicism

要するにほぼ時代順に作品が並べられていて、東京美術学校在学中の作品から生涯最後の個展に出品された宗教画まで、画業の推移を辿ることが出来るかなり見応えのある展覧会だ。

Ⅰ原風景―家族と風景

ここでは藤田嗣治の東京美術学校在学中の作品を見ることが出来る。『自画像(1910年)』、『夫人像(1909年)』、『父の像(1909年)』。

そしてパリに渡る前に朝鮮総督府医院長であった父に挨拶に行ったときに描かれた作品、『朝鮮風景(1913年)』。

何も知らずにこの作品たちを見たとしたら、先ずこれが藤田作品とは思わないだろう。実際本物の作品であってもあまりそそられない。

ただ、その後どんなふうに変わっていたのか?は既に知っているわけだから、ここからあんなふうになっていくんだと考えるとなかなか面白い。

これは他の画家にしてもやはりも同じで、それぞれの最初の頃の作品を見るのはかなり面白く興味深いものなのだ。音楽や文学よりももしかすると面白いかもしれない。

Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで

1913年、藤田嗣治はパリに渡る。幸せなことに父親が留学資金を援助してくれている。これは随分と恵まれた話だ。

パリのモンパルナスに住んだ彼はキュビズムの影響を先ず受けることになる。1度は手放して晩年に買い戻した油彩の静物画『キュビスム風静物(1914年)』は確かにキュビズム様式だ。

紙に水彩で描かれた未来派風の『トランプ占いの女(1914年)』は、手の動きをいくつもの腕を描くことで表現していて、これがなかなか面白い。

鉛筆デッサンに淡彩を施している『シャンタル嬢の肖像(1914年)』は第1章の肖像画3点とは全く違う肖像画になっている。こういった変化を比較して見られるのが楽しいのだ。

そしてキュビズム風はこれで終わって、あとは少し寂しい感じがするパリ周縁を描いた作品が並ぶ。実際キュビズム風は300~400くらい描いたらしいが殆どは失われてしまっている。

『巴里城門(1914年)』、『雪のパリの町並み(1917年)』、『ドランブル街の中庭、雪の印象(1918年)』、『パリ風景(1918年)』、『モンルージュ、パリ(1918年)』、『パリ風景、モンマルトルのテルトル広場とサクレ=クール寺院(1918年)』。

『鶴(1917年)』は日本の伝統的な技法である金箔が使われていて、鶴が題材なのだからいかにも日本的だが、『目隠し遊び(1918年)』は同じく金箔を使っていてもこれは『洋』だ。

『断崖の若いカップル(1917年)』は細い輪郭線を使って描いている東洋的人物画で、妙に印象に残る。当時親交の深かったモジリアニっぽい感じもする。

モジリアニっぽいといえば『二人の女(1918年)』も縦に引き伸ばされたかのような女性が二人描かれている。背景は何も描かれておらずあの乳白色の下地に向かうプロセスを感じる。

同じように背景にモチーフを描き込まない二人の女性が描かれている『二人の少女(1918年)』、細長い鼻、小さな口、黒い瞳、広い額の少女二人はちょっと怖い。

同じような女性を描いた『花を持つ少女(1918年)』は完全に女性の背景は何もなく乳白色の下地だ。

同じような背景だが花瓶の下に敷かれているものまでは描かれている『アネモネ(c.1918年)』、『バラ(1923年)』は印象に深い。

更に時計を中心に身のまわりのものをが細い墨の線で描くスタイルの『私の部屋、目覚まし時
計のある静物(1921年)』や『貝殻のある静物(1924年)』も素晴らしく美しい。

板の上にポアロ葱や玉葱と共に横たわった野兎が描かれた『野兎の静物(c.1918年)』はまた独特だ。

1920 年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿

パリで本格的デビューを果たしたのが1921年、おかっぱ頭に丸眼鏡にちょび髭の藤田嗣治の自画像が並ぶ。『自画像(1921年)』の彼はうつろな感じだ。

『自画像(1926年)』は藤田嗣治の肩越しに猫がこちらを見ている。彼の描く猫はいつみても可愛い。その猫を描いた『猫(1932年』も当然可愛い。

『自画像(1929年)』は紙に鉛筆で人物だけが描かれたものと、油彩で猫や背景の壁の女性像が描かれているものがある。

油彩の方では更に紙と硯が描かれており、乳白色の下地に墨色の細い線で描くスタイルを生み出した画家であることがわかる。

また、この時期はパリのセレブからの肖像画の注文が多く舞い込んだようだ。

乳白色の下地に黒い髪の毛、黒いドレスの『座る女(1921年)』、銀箔が使われた『エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像(1922年)』はかなり印象的だ。

他にも淡彩で少女・人形・猫が描かれた『人形を抱く少女(1923年)』、黒い壁の前に立つ『ヴァイオリンを持つ子ども(1923年)』が出品されている。

Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代

横たわっている裸婦を描いた『横たわる裸婦(1922年)』、『横たわる裸婦(1926年)』、『裸婦(1927年)』。

座った裸婦を描いた『タピスリーの裸婦(1923年)』、『裸婦像 長い髪のユキ(1923年)』に、立った裸婦を描いた『立つ裸婦(1924年)』。

裸婦の群像の『五人の裸婦(1923年)』、『舞踏会の前(1925年)』、二人の女性と幼児が裸でまどろむ『砂の上で(1925年)』。

二人の裸婦を描いた『友情(1924年)』、『二人の裸婦(1926年)』。

ポスターの裸婦『サロン・デュ・フラン(1926年)』、『第 4 回芸術家友好援助会(AAAA)舞踏会(1926年)』。

と言う具合にまあ裸婦だらけなわけだが、これだけの作品を一度に見ることが出来ることは今まで叶わなかったことなだけに本当に素晴らしい。

Ⅴ 1930 年代・旅する画家―北米・中南米・アジア

1930年代に入っての作品は、それまで1920年代のものとは随分と違う印象になる。好みの問題もあるだろうが、また一気に作風が変化しているのは面白い。

『モンパルナスの娼家(c.1930年)』、『町芸人(1932年)』、『カーナバルの後(1932年)』、『婦人像(リオ)(1932年)』は油彩で色彩が強い。かなりの変化だ。

『リオの人々(c.1932年)』、『ラマと四人の人物(1933年)』、『狐を売る男(1933年)』、『インディアンの男女(1933年)』は紙に水彩で色彩は少し抑えられている。

マドレーヌを描いた『メキシコに於けるマドレーヌ(1934年)』は油彩でやはり色彩が強い。『裸婦(マドレーヌ)(1934年)』は1920年代の雰囲気で安心する。

『一九○○年(1934年)』は他の作品とはまたちょっと違う雰囲気のもので、ふと何人かの画家を思い出させる。

『自画像(1936年)』は日本家屋で和服姿で食事後の寛いでいる様子が描かれている。突然の日本な感じでこれがまた良いのだ。

更に『ちんどんや 職人と女中(1934年)』、『魚河岸(1934年)』、『夏の漁村(房州太海)(1937年)』、『秋田の娘(1937年)』もまさに日本。

秋田県立美術館

『秋田の娘』を見れば、秋田県立美術館にあるあの365.0×2050.0cmの大作『秋田の行事』を当然ながら思い出してしまう。

秋田の行事

『客人(糸満)(1938年)』、『孫(1938年)』は沖縄を描いたもので、この油彩も色が強いが、やはり日本でありまた感じが違う。

Ⅵ-1 「歴史」に直面する―二度目の「大戦」との遭遇

『サーカスの人気者(1939年)』では多数の犬が、『争闘(猫)(1940年)』では猫がそれぞれ沢山描かれている。そして『人魚(1940年)』。

Ⅵ-2 「歴史」に直面する―作戦記録画へ

明るい感じで進むのかと思えばそうはいかない。『自画像(1943年)』では藤田嗣治はおかっぱではなく短い髪の毛になっている。色はかなり暗い。

『キヤンボシヤ平原(1943年)』、『嵐(1943年)』は風景画だが、これまでとは違ってやはり暗い。

そして茶褐色の『アッツ島玉砕(1943年)』、『サイパン島同胞臣節を全うす』が登場する。いわゆる『戦争画』である。他の前後の作品とは明らかに異なる異様さが際立つ。

東京国立近代美術館には、戦後アメリカ軍に接収され、その後に『永久貸与』として返還された日本画・洋画合せた戦争画は150点余り。藤田作品は14点あり、これらもその中のもの。

この14点という数は米軍に接収されたものだけで、実際に彼が描いた戦争画の数は、油彩だけで百余点、スケッチなどを加えると数百を下らないそうだ。

これらの作品が軍部のプロパガンダの役目を果たしたのは紛れもない事実だろう。ただそれを突き抜けたすごさがある。見るのが怖い作品だ。

Ⅶ 戦後の 20 年 ―東京・ニューヨーク・パリ

戦争が終わり二度と戻ることがなかった日本を離れた藤田嗣治。

フェルナンド・バレー、ユキ、マドレーヌといった藤田と関わった女性が描かれているとされる『優美心(1946-48年)』は緻密で写実的だ。これも秋田で見たことがある。

藤田嗣治

『私の夢(1947年)』は再び裸婦ではあるが着衣の動物が周りに描かれていて、以前のものとはまた違う印象を与える。

『マザリーヌ通り(1940年)』は乳白色の下地に黒い線でパリの風景が描かれている。この風景が背景に描かれているのが『猫を抱く少女(1949年)』だ。

『カフェ(1949年)』は紙に木炭で描かれたものと油彩のものが並ぶ。今回のキービジュアルにもなっている作品だ。藤田本人の手による額縁がまた良い。

黒いヴェールに黒い服の『美しいスペイン女(1949年)』はモナリザ連想させるとあったが、そう言われればそんな気もしてくる。この額縁も彼本人の手によるもの。

擬人化された動物たちの姿が愛らしい『ラ・フォンテーヌ頌(1949年)』。奥の壁にかけられている絵が気になる。

セーヌ河に浮かぶシテ島の『Hotel de Deux Lions』が正面に左端にノートル=ダム大聖堂の尖塔が見える『フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂(1950年)』。

赤い帽子と猫が印象的な『ホテル・エドガー・キネ(1950年)』、ベッドでクロワッサンとカフェ・オ・レを食べる双子(?)の少女が可愛い『姉妹(1950年)』。

描いたマケットが現存している『室内(1950年)』、68歳の自身を描いている『家族の肖像(1954年)』は左に伴侶となった君代、右は父。

『夢(1954年)』は『私の夢(1947年)』に近いが、フランス更紗とも呼ばれるジェイ布の柄の細かさが目を惹く。

子供たちを描いた作品がいくつか。『人形と少女(1954年)』、『小さな主婦(1956年)』、『機械の時代(アージュ・メカニック)(1958-59年)』はどれも可愛い。

生物学者であるジャン・ロスタンを描いた『ジャン・ロスタンの肖像(1956年)』は人物もさることながら細かい背景がかなり気になる。

マネキンにかけられた時計が印象的な『すぐ戻ります(蚤の市)(1956年)』、こちらに視線を向けている赤い服の女性と椅子の下の猫が印象的な『ビストロ(1958年)』。

最後の住居兼アトリエとなったヴィリエ=ル=バクルの家には藤田自身が創作した様々な日用品が残されている。それらはどれも素晴らしく可愛くレプリカで良いから欲しくなる。

『装飾木箱(1958年)』、『ワイングラス(1959年)』、『装飾皿(自転車に乗る猫)(1947-48年)』、『装飾皿(浴室の猫)(1947-48年)』、『皿(猫の聖母子)(1958年)』、『皿(猫のキリスト降誕)(1958年)』、『花瓶(1958年)』、『角皿
(猫)(?年)』。

Ⅷ カトリックへの道行き

1959年にカトリックの洗礼を受けた藤田嗣治。洗礼名はレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんで『レオナール』とした。

十字架を描いた『風景(1918年)』、『十字架の見える風景(1920年)』、『聖女(1918年?)』、『母と子(1918年)』、『殉教者(1934年)』、『二人の祈り (1952年)』、『教会のマケット (1953年)』あたりはまだ洗礼を受ける以前のものだ。

『黙示録(四人の騎士)(1959年)』、『黙示録(七つのトランペット)(1959年)』、黙示録(天国と地獄)(1960年)』は画面に余白は殆ど無く埋め尽くされている。

『聖母子(1959年)』、『キリスト降架(1959年)』、『礼拝(1962-63年)』、『マドンナ(1963年)』、『十字架(1966年)』と続いていく。

そして途中に『映画「現代日本 子供篇」』、『藤田の日記とスクラップブック』の一部が資料して公開されている。

まとめ

藤田嗣治展

藤田嗣治という一人の画家にスポットをあて、その画風の軌跡を辿ることが出来るこの『没後50年 藤田嗣治展』は素晴らしい『機会』となるだろう。

日本人の画家であるにもかかわらず、これだけ多くの作品が1度に見られることは今までなかったはずだし、これからだってわからない。

ここに行けば彼の作品がいつでも沢山見られるよ、と言うものが日本のどこにもないのは残念だが、そういう意味でもこの展覧会は貴重な機会だろう。

一人の画家が作風を変化させながら創作する軌跡を追うのはなかなか楽しい。それは藤田嗣治も例外ではない。是非行かれることをお勧めする。好き嫌いを超えて楽しめるはずだ。

基本情報

藤田嗣治展

会場:東京都美術館企画展示室

開催期間:2018年7月31日(火)~10月8日(月・祝)

開室時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)

金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)

     8月3日(金)、10日(金)、17日(金)、24日(金)、31日(金)は 9:30~21:00

休室日:月曜日、9月18日(火)、25日(火)

    8月13日(月)、9月17日(月・祝)、24日(月・休)、10月1日(月)、8日(月・祝)は開室

お問い合わせ先TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)

当日券 :一般 1,600円、大学生・専門学校生 1,300円、高校生 800円、65歳以上 1,000円

アクセス

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