古戸 稲荷神社傍の待道大権現と道祖神と道標
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は古戸地区から。
古戸 稲荷神社傍の待道大権現と道祖神
前回の古戸 稲荷神社そばにあるのが、
安政七年(1860年)の御神灯。
その奥には、
天保十五年(1844年)待道大権現石祠。
台座には、
當村女人講中。
道祖神は、
文化五年(1808年)のもの。
台座には古戸講中とあり、
石祠側面には女人講中とある。
手前には、
道祖神についてという石板もある。
古戸 稲荷神社傍の道標
そのそばには、
大正十三年(1924年)の道標がある。
とにかく、
読み難い。
古戸及神出渡船場ヲ経テ茨城…とか、
…停車場及中里渡船場…とか。
日秀新木ヲ経テ布佐…とか、
中峠…我孫子松戸…とかいう感じ。
傍にあるこちらは、
もう全くわからない。
古戸 別の道標と石仏
古戸 稲荷神社傍の道標とは別に、
古戸の道を自転車で更に進むとまたしても道標らしきものがある。
別の道標
殆ど読めないのだが、
正面中峠ヲ経て我孫子松戸方面に至ルとあるのかな?
あとは茨城県小文間とか?
とにかく読めない。
読めないんだけれど、
少しだけでもわかるとなぜか嬉しい道標なのだ。
石仏
その道標からすぐのところに、
原墓地がある。
墓地には、
何かしらの石仏が墓石に混ざっていたりするものだがここにもやはりある。
本来お墓の中を探すことはしないし、
スルーを基本としているのだがたまたま目に付いたものがすぐにあったので。
その1基が、
元禄十五年(1702年)の聖観音像塔。
300年以上も昔のものだけれど、
これはなかなかきれいに残っている。
その陰に隠れているのは、
文化十三年(1816年)如意輪観音十九夜塔。
随分と埋まってしまっているけれど、
下の方まで残っていそうな感じなので全容を見られず残念。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
古戸地区から。
前回の古戸 稲荷神社傍にある、
待道大権現と道祖神と道標。
更に、
近くの別の道標。
そして、
その別の道標の先の原墓地にある庚申塔。
古戸の周辺スポットは、
どこもすぐ近くにあるので周り易い。
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