布佐地区 観音院跡
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市布佐地区から。
周辺スポットということで、
布佐 観音堂。
前回の江蔵地 水神宮からは、
自転車だと9分ほど。
途中で発見した石祠
途中、
竹林の手前の少し小高くなっているところに1基の石祠を発見。
駐車場の奥にあり、
近付いて見てみる。
年紀も内容も、
何もわからない。
ただ、
そんなに古いものでもなさそうだ。
観音院跡
かつてここには観音院というお寺だったみたいだが、
今は廃寺となり布佐台自治会集会所になっている。
ただ敷地内には、
お堂と石造物が残されている。
3つのお堂
お堂は3つあって、
向かって1番左にあるのが稚児大師堂。
お堂手前には、
大正二年(1913年)東京開運小供会とある石碑。
お堂の中には、
稚児大師が祀られている。
空海の遺戒である御遺告には、
5・6歳の頃いつも八葉の蓮華の中に坐って諸々の御仏たちと言葉を交わしている夢を見たという一節がある。
その様子を描き出し、
独立した尊像としたのが稚児大師。
手前には、
人形が何体か。
真ん中のお堂は、
観音堂。
中をの覗かせていただくと、
馬頭観音像。
右のお堂は、
2つに分かれている。
左が、
大師堂。
中を覗かせて頂くと、
弘法大師坐像。
右が、
石神堂。
こちらの中には、
文政十一年(1828年)の石神大明神石祠。
そして周りは、
こんな感じ。
お堂裏の石仏群
お堂の裏に回ると、
随分とたくさんの石造物がある。
墓碑も交じっているが、
それ以外を見ていこう。
天保二年(1831年)、
文字青面金剛塔。
奥に見えるのが、
大正十五年(1926年)伊勢参宮記念碑。
文字青面金剛塔の右も、
寛政元年(1789年)文字青面金剛塔。
安永九年(1780年)、
四國伊豫國金光山仙龍寺とあるので札所塔かな。
先ほど2列目1番左、
伊勢参宮記念碑の右。
文政二年(1819年)、
如意輪観音十九夜塔。
明治八年(1875年)、
文字庚申塔。
その右は寛政八年(1796年)二十三夜供養塔、
明治十三年(1880年)出羽三山供養塔。
少し外れて大正二年(1913年)の句碑、
空と水染めあふ秋の光かなとある。
こちらは、
明治十三年(1880年)馬頭観世音塔。
なぜか。
三行にわたって馬頭観世音とあるのが面白い。
文政十年(1827年)、
奉納大乗妙典六十六部日本廻国とある大乗妙典塔。
寛政元年(1789年)と、
文政二年(1819年)の如意輪観音十九夜塔。
どちらも、
かなりきれいに残っている。
文化元年(1804年)、
二十三夜塔。
安永七年(1778年)、
出羽三山供養塔。
文化七年(1810年)、
天神宮石祠。
正徳四年(1714年)、
如意輪観音十九夜塔。
奉造立供養十九夜念佛現 正蔵院 延命寺 當二世安樂如意祈所、
とある。
正蔵院は布佐 勝蔵院 21・37番で、
延命寺は布佐 延命寺 24番なんだろうか。
享保十四年(1729年)、
青面金剛塔。
刻まれた文字も、
青面金剛も邪鬼も三猿もわりとよく残っている。
延享元年(1744年)、
奉納大乗妙典六十六部日本廻国供養塔とある大乗妙典塔。
文久三年(1863年)、
普門盆供養塔とある普門品塔。
左にあるのは半分埋まっている、
元禄七年(1694年)の如意輪観音像。
文化十二年(1815年)、
手水鉢。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング、
今回は我孫子市布佐地区。
前回の江蔵地 水神宮からは、
自転車だと9分ほど。
周辺ポタリングということで、
布佐 観音院跡。
敷地内には石造物が多数あって、
しかもきれいに残っているものも多くなかなか充実しているところだ。
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