旧井上家住宅へ
今回は『旧井上家住宅』。訪れたのは少し前のことでまだ暑い時分だ。
奥手賀曙橋から手賀川沿いの田園風景が広がる遊歩道を進んでいく。そのまま行けば利根川だが、浅間橋のところを左に曲がってしばらく行くと、お馴染み手賀沼ふれあいラインに突き当たるので、そこを右に曲がって走る。
やがて左手に見えてくるのが『旧井上家住宅』。
井上家とは?
井上家は元々は江戸時代の初め頃は今の銀座で食料雑貨商『近江屋』を営んでいたが、4代目の時に江戸中期の享保の改革の一環、手賀沼干拓参入の為にこの地に移住して新田開発に取り組んだそうだ。
干拓事業が終了したのは昭和26年。なんと12代目当主の時代。要は200年以上もかかったというわけだ。これは利根川の氾濫とそれに伴う手賀沼の洪水がそうさせたのだろう。
旧井上家住宅の建物
そんな井上家の敷地には、9棟の歴史的建造物があって無料で見学できる。そのうち母屋/二番土蔵/新土蔵/旧漉場/表門/裏門の6棟が我孫子市の指定文化財になっている。
表門
敷地内には、手賀沼ふれあいラインからも入れるが、表門は一つ先の細い道の方にある。
表門の前には敷地内の案内パネルがある。
その表門は本格的な薬医門で、嘉永4年(1851)のもの。木造切妻造桟瓦葺。屋根の上部にある棟部分が、漆喰と瓦で青海波模様になっている。屋根の衣装としては比較的ポピュラーなものみたいだ。
旧漉場
門をくぐって中に入る。左手には大きな羽釜がある。油の漉し場で使われていたものだろう。
左手にある建物は、木造瓦葺平屋建の旧漉場で大正9年(1919)に建てられたもの。
歴史があるから、いろいろな時代が混在しているわけだね。
旧漉場となっているが、作業場としてはかなり立派なつくりで、仕事場や宿舎の可能性もあるようだ。
ここは解説パネルがあちこちにあって親切でわかりやすい。更に、パンフもあるので読みながら見学すると良いだろう。
母屋
向かって正面に見えるのが、木造鉄板葺平屋建の母屋で、安政5年(1858)に建てられたもの。
ただもう一つの解説パネルには1860年の万延元年に建てられたとなっている。
どちらが本当かわからない。まあいずれにしても1860年前後あたりなんだろう。
屋根は元々茅葺きだったが、今では鉄板の屋根で覆われている。茅葺屋根は維持が大変だろうけど、そのままだったら更に良い雰囲気だったに違いない。
建物の裏に回ると、貴重な昭和初期の鉄筋コンクリート造の炊事場もある。
この炊事場や、彫刻がなかなか見事な表の敷台玄関などは、後から増築されたものだ。
残念ながら中には入れなかった。ただ、玄関から中を覗くと、奥には美濃岩村藩元城主から嫁入りの際に持ってこられた葵の家紋の入った長持が置かれている。
母屋正面右には屈んで入る土間の入口がある。
入ってみると、さきほどの長持ちが正面に、右奥帳場みたいな感じだ。
家の中を見学できたらもっと楽しいだろう。
庭の方からも中の様子を見ることはできる。
各部屋ともになかなかステキだ。
裏門
大正11年(1922)に建てられた裏門は小振りだけれどなかなか本格的な薬医門。
両開きの板扉になっていて、八双金物で固定されている。
瓦の家紋
井上家の家紋は2つある。瓦には2種類の家紋がある。1つは丸に片喰。
もう一つが井桁に三ツ星。
二番土蔵
洪水などの水害から守る為に水塚の上に造られた蔵。その1つが二番土蔵で桟瓦葺の土蔵造2階建で嘉永4年(1851)築のもの。
解説パネル似あった写真を見ると、元々は3つの蔵が並んでいたことがわかる。ただ、残念ながら今は1つしか残っていない。
残っているのは写真の中央の蔵だな。黒漆喰塗りの戸前は観音開戸、そして腰高の格子蔵戸。
新土蔵
新土蔵が少し離れてある。
こちらは昭和6年に完成したもので、桟瓦葺の土造モルタル仕上げの平屋。
庭門
庭門は小規模な薬医門になっている。
中は庭になっていて建物の中の様子も見られる。
というわけで…
手賀沼開墾に尽くした豪農井上家の屋敷の紹介でした。
こういった古い建物を見たりするのが好きな方なら結構楽しめるはずなので、是非行ってみて下さい。ところでここに住んでいた井上家の人々はその後どうしたんだろう?
またこことは違うけど豪邸に住んでいるのだろうか?とちょっと気になってしまった。
旧井上家住宅基本情報
見学可能時間:09:00-16:00
休み:毎週月曜・お盆・年末年始。
※月曜が祝日の場合は翌日休み。
料金:無料
駐車場:有り(無料)
住所:千葉県我孫子市相島新田1
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