下ケ戸 八幡神社
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市下ケ戸地区から。
前回の西音寺の右隣奥にあるのが、
下ケ戸 八幡神社。
概要
創建年代等は、
不詳。
明治の神社明細帳では、
天神社となっているらしい。
西音寺の18基の石造物の先に、
鳥居がある。
最初は何もないが、
少し進むとまあいろいろある。
浅間大神の石塔に、
お堂。
浅間大神の石塔の奥には、
崩壊した石造物があれこれ。
安永二年(1773年)の道祖神とか宝暦十三年(1763年)の石仏など、
ちゃんと並べられているものもある。
手水舎も手水鉢も、
まだ新しそうだ。
でも、
脇に寛政七年(1795年)のものもある。
他にも、
自然石の手水鉢も近くに。
聖徳太子碑。
稲荷神社。
大山阿夫利神社碑に、
伊勢神宮参拝記念碑などなど。
奥にも、
享和四年(1804年)の二十三夜塔や文字庚申塔など。
更に奥にも、
雷電宮の石祠や崩壊した石造物。
本殿左手にも、
いろいろある。
まずは、
文政十一年(1828年)の文字庚申塔から始まる。
隣は、
明治三十二年(1899年)の山神社塔。
奥に文化八年(1811年)山神宮石祠があって、
その隣に見事な青面金剛塔が2基。
左が、
享保四年(1719年)の二童子二夜叉付髑髏持ちの豪華な青面金剛塔。
上が欠けているけど、
青面金剛はギリギリ良い形で残っていて素晴らしい。
二童子は普通だけど、
二夜叉と邪鬼の表情が何とも面白い。
もう1基が、
元文五年(1740年)の二童子付ショケラ持ちの青面金剛塔。
こちらも、
よくぞここまで残っていてくれてありがとうという感じ。
ショケラも、
表情がわかる。
邪鬼も三猿同様に、
正面を向いているスタイル。
更に宝暦五年(1755年)、
奉納青面金剛とある庚申燈篭。
天明七年(1787年)、
青面金剛王とある文字青面金剛塔。
文化七年(1810年)、
奉待庚申塔とある文字庚申塔。
右2基の三猿も、
なかなか良い感じ。
享和三年(1803年)の文字庚申塔や、
安永六年(1777年)の文字青面金剛塔が並ぶ。
それにしても、
かなり古いものが多いのに良い状態のものが多い。
ショケラ持ちの、
文政六年(1823年)の青面金剛塔。
石祠みたいになっているのが、
面白い。
ショケラのお顔は、
欠けている。
邪鬼は、
顔が左にあるのが多いがこれは右。
更に宝暦三年(1753年)の奉請青面金剛尊とある文字青面金剛塔、
文化十一年(1814年)の青面金剛王とある文字青面金剛塔。
右は年紀も内容も不明だけど、
三猿らしきものが。
まだまだあって、
天神宮などいろいろ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
我孫子市下ケ戸地区。
新四国相馬霊場74番の永光山西音寺のお隣にある神社、
八幡神社をお届けしました。
ここは享保四年(1719年)の二童子二夜叉付髑髏持ちの豪華な青面金剛塔と、
元文五年(1740年)の二童子付ショケラ持ちの青面金剛塔を筆頭になかなか見応え充分。
この2基の青面金剛塔を実際に見るだけでも、
訪れる価値はあると思う。
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