布佐地区 勝蔵院
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング。
今回は、
我孫子市布佐地区から。
21・37番札所、
勝蔵院。
前回の布佐 延命寺 24番からは、
50mちょっとの距離。
概要
天台宗 西光山 勝蔵院、
その開山開基は不詳。
ただ文禄元年(1592年)に創建、
宝永2年(1706)法印孝順が中興開山したという。
周辺
勝蔵院の脇参道に入る手前には、
お堂があるが札所というわけではなさそうだ。
ただ中には、
弘法大師坐像。
脇門のところには、
享保十七年(1732年)の延命地蔵。
右には、
奉造立地蔵尊現當二世安楽攸とある。
もう少し先へ進むと、
右手に昭和六十二年(1987年)の上部に仁王の彫刻のある門柱。
右に天台宗西光寺、
左に勝蔵院。
その門を入ると、
手入れが行き届いていると感じさせる境内。
正面には、
なかなか素敵な本堂。
中は、
こんな感じ。
本堂手前にある手水鉢は、
元禄四年(1691年)のもの。
年紀不明の宝篋印塔に、
バランスが少しおかしい感じがする常夜燈。
本堂左脇には、
大師道道標。
右指差し手の下に二十二番とあり、
更にその下に左指差し手の下に二十七番とある大正六年(1917年)のもの。
上と真ん中に指差し手があるこの表示スタイルは、
多分初めて見た気がする。
本堂左脇を進み、
右の石段を上って大師堂のある敷地に向かう途中にもいろいろとある。
右から大正十一年(1922年)の南無大師遍照金剛と刻まれたものや、
大正六年(1917年)の第廿一番大師堂石塔喜捨芳名…と刻まれた社寺関係碑。
1番左は、
大正四年(1915年)の札所塔で新四國第三拾までは読めるもの。
右後方の大正十年(1921年)の普門品十万巻供養塔とか、
1番左の弘法大師供養塔とか…。
あと、
明和元年(1764年)の十九夜如意輪塔があった。
石段を上がり切ると、
右側には捏造されたという和田氏関連のものが並ぶ。
右から、
文政二年(1819年)の和田氏墓 明応九年卒月不知 三百二十年年二成と刻まれているもの。
昭和八年(1933年)、
布施和田城址和田塚略記…とあるもの。
昭和九年(1934年)、
和田八幡祠とある石祠。
明応九年(1500年)、
武蔵板碑が嵌め込まれているもの。
その近くには、
大正七年(1918年)の鯖大師万人講道標。
ここには別ルートでも来ることができて、
これがその入口。
左に御即位、
右に記念とある大正四年(1915年)の門柱。
脇には、
大師道と読めるような読めないような石塔。
門柱の奥には、
大正六年(1917年)の本浅廿一日講とある灯籠。
脇には、
安永五年(1776年)の奉請四國霊場廿一番とある札所塔。
更に横には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所 第二十一番 第三十七番 大師堂再建記念碑。
とにかくこの敷地内には、
あれこれいろいろありすぎて整理がつかない。
大正六年(1917年)、
手水鉢。
安永五年(1776年)、
奉請四國霊場三十七番とある札所塔。
近くには、
門柱奥にあったものと一対っぽい崩壊した灯籠。
寛文十三年(1673年)、
聖観音十五夜念仏塔。
右側には、
十五夜念佛結衆廿五人とある。
左側には、
寛文十三癸丑暦十月吉日とある。
延宝六年(1678年)の勢至観音十五夜塔、
元禄九年(1696年)の聖観音十九夜塔。
勢至観音十五夜塔には、
奉供養十五夜二世成就/延宝六午天十月日とある。
聖観音十九夜塔には、
右に奉造立十九夜為二世安楽也とある。
左は、
元禄九丙子年十月十九日。
寛文十三年(1673年)の阿弥陀如来像に、
寛永十一年(1634年)の大日如来塔。
1番右は、
宝暦六年(1756年)の湯殿山大権現石祠。
来迎印阿弥陀塔は、
右に寛文十三年丑十月十日とある。
左には、
結衆二十二人とある。
大日如来塔は、
寛〇十一とか結衆の文字が読めるだけ。
どれもかなり古いものだけど、
かなりしっかりと残っているのが素晴らしい。
こちらは、
大正八年(1919年)の阿弥陀如来像。
台座には、
皇太子殿下御成年紀念とある。
左手には、
更にいろいろな石造物。
文化四年(1807年)、
萬人講とある。
寛政七年(1795年)の文字青面金剛塔に、
天明二年(1782年)の弐十三夜供養塔。
明和二年(1765年)、
青面金剛塔。
明和ニ酉歳、
十月吉日とある。
三猿の下には、
布佐村講中とあった。
青面金剛塔の奥には、
年紀不明の文字庚申塔。
左は、
年紀不明二十三夜塔。
青面金剛塔左には、
寛保二年(1742年)の金龍海とあるもの。
奥は、
文政十一年(1828年)の文字庚申塔。
といった感じで、
かなり見応えがある。
21・37番
さて、
ここは新四国相馬霊場八十八ヶ所の21番と37番の札所。
21番
21番の大師堂は、
結構大きめ。
御詠歌額もちゃんとあって、
読める。
中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。
37番
37番の大師堂は、
21番とは違って大師堂らしい大師堂。
こちらも御詠歌額がちゃんとあって、
やはり読める状態のもの。
しかも、
2つある。
中は、
こんな感じ。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング、
今回は我孫子市布佐地区。
前回の布佐 延命寺 24番からは50mちょっとの距離にある、
21番と37番の札所 布佐地区 勝蔵寺でした。
ちなみに、
37番大師堂は本堂前庭に建てられていたらしい。
それが竹内神社にあった二十一番札所をここに移すことになって、
今の場所に一緒に建てられたらしい。
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