岡発戸 白泉寺
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
我孫子市岡発戸地区から。
22番札所、
曹洞宗 万岳山 白泉寺。
概要
この白泉寺は、
お隣にある八幡神社の別当寺(神社を管理するために置かれた寺)だったらしい。
どこから境内が分かれるのか?
はよくわからない。
明治初期には空寺となり、
湖北台にある新四国相馬霊場八十八ヶ所73番札所の正泉寺住職が兼務しているようだ。
元々は正泉寺七世竹巌宗嫩が開山となり、
慶長15年(1610年)に創建という。
竹巌宗嫩は、
慶長~元和年代に新四国相馬霊場八十八ヶ所36番の滝前不動堂を建立した方で既に1度出てきているね。
今では岡発戸会館になっているが、
ちゃんと白泉寺の扁額があった。
石造物
この建物に至る入口には、
いくつかの石像物。
先ずは、
四國二十二番と刻まれた22番を示す安永七年(1778年)の標石。
右側面には北相馬郡岡發戸村とあり、
左側面には安永七(1778年)戊戌天とある。
左手には、
大正十三年(1924年)の手水鉢。
あとは真ん中に雨天成共火之用心と刻まれた明治十八年(1885年)ものがあるが、
どうやら墓石のようなので写真はなし。
両脇には、
我内村ヨノ中一同片時モワスレスニ/タトヒ男女ノ子供ニイタルマテ。
左側面には、
真ん中に一日ハ必相休べカラスだろう。
両脇には、
永代/タマニ半日ダケハヨロシク也。
22番
22番大師堂は、
向拝付・切妻造・瓦葺。
懸魚の渦波模様が、
なかなか美しい。
二十二番の札は、
3つもある。
中を覗かせていただくと、
3基の石仏。
そのうちの2体は、
もちろん弘法大師像。
あと1体は、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の開基である観覚光音禅師像らしい。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は岡発戸地区。
正泉寺七世竹巌宗嫩が開山となり慶長15年(1610年)に創建と言われる、
岡発戸 曹洞宗 万岳山 白泉寺 22番。
見るべき石造物はあまりないけれど、
雨天成共火之用心と刻まれた明治十八年(1885年)の火の用心を促す石塔は興味深いものがあった。
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