井野 天満神社概要
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
今回は、
取手市台宿地区から。
新四国相馬霊場第31番札所、
井野 天満神社。
井野 天満神社と言いながら、
住所は井野の南の台宿地区になる。
由緒は、
社殿の説明板で。
井野天満神社
当社は贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公をお祭申した古来天神さんと言われている御社です。
井野天満神社 説明板
この地にお祭した年代は室町時代の末期天正元年二月二十五日御祭神天神様が昇殿なされた日に京都北野天満宮より分霊を申し受けお祭り申したものです。
天正元年 1573年
鳥居~社殿
取手一高東側に表参道の入口、
長い石段が続いているのを上って行くと鳥居が見えてくる。
この鳥居はまだ新しく、
平成二十五年(2013年)のもの。
鳥居には、
天満宮の扁額。
その先、
左手にはこちらもまだ新しい平成十四年(2002年)の座牛。
その先には、
狛犬一対。
こちらは、
手水鉢。
その先には、
拝殿。
天満宮の扁額が、
いろいろ。
こちらは、
菅聖祠堂とある。
更に、
左にも。
文化二年(1805年)、
御神酒の手桶が浮彫りされたものは左右に2基。
こんなものもあって、
結構賑やか。
拝殿奥は、
本殿だが中は見られない。
本殿脇に、
焼き物がいろいろ並んでいる。
境内
参道の左手は、
梅林になっている。
庭みたいな感じで、
焼き物があちこちにある。
いろんな花も咲いていて、
なかなか気持ちの良いところだ。
石造物
社殿右手に、
石造物が集められている。
稲荷大明神とか八幡宮とか、
石祠が多い。
ただ奥の方には、
嘉永七年(1854年)庚申塔。
文化十三年(1816年)や文政十二年(1829年)、
文字青面金剛塔なども。
こちらは、
大師堂道標。
脇参道の方には、
不明の祠。
この脇には、
下が埋まってしまっている文字青面金剛塔。
更に、
三猿部分が埋まってしまっている青面金剛像。
31番
こちらは、
札所塔。
この札所塔の後ろの塀の先に、
2つのお堂がある。
こちらが、
そのうちの1つ。
中は、
こんな感じで真ん中には弘法大師像。
こちらが、
31番の大師堂。
この31番は元々は光音禅師によって、
この井野 天満宮に創建。
その後、
明治中期に東福寺の建立に伴って栗山台に移動したようだ。
更に東福寺が台宿に移動したことで、
取手駅前片倉工業門前に移動。
そして再び、
この井野 天満宮に戻されということだ。
きっと、
もうあちこち移ることもないだろう。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市台宿地区から。
新四国相馬霊場第31番札所、
井野 天満神社。
井野 天満神社とは言いながら、
住所は井野の南の台宿地区になる。
参道左手の庭のようなスペースが気持ち良くて、
晴れた日などはここでのんびりするのも良いかもしれない。
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