我孫子市 下ケ戸地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市下ケ戸地区から。
下ケ戸地区はこんなところ
下ケ戸は、
さげとと読む。
岡発戸よりも低い位置にあったので下発戸(さげほっと)、
それが転じてさげととなったと言われているけど諸説あるのはいつもと同じ。
下ケ戸地区 MAP
地図だと、
こんな感じ。
そんな下ヶ戸には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の札所が1つある。
下ケ戸 西音寺
今回は、
74番札所の西音寺。
概要
真言宗豊山派永光山西音寺は、
江戸時代初期修行僧がこの地に堂庵を営んだのが起こりという。
入口の道標
入口には、
大正三年(1914年)の新四國大師道と刻まれた石標と不明のものが2基。
道を挟んだ向かいにも、
やはり大師道と刻まれたものがある。
本堂脇の石造物
緩い坂の先に、
本堂がある。
本堂右脇には、
石造物が並ぶ。
1番手前は、
多分弘化二年(1845年)の手水鉢。
そのお隣が、
天保四年(1833年)と天保十二年(1841年)の文字庚申塔。
次は、
百番塔が2基並ぶ。
右側は真ん中上に奉拝禮とあり下には大願成就供養塔とあり、
挟まれて右上月山 湯殿山 羽黒山 西國 秩父 坂東とある。
これは、
安政五年(1858年)のものだ。
左のものは上に月山 湯殿山 羽黒山、
真ん中に秩父 西國 坂東とある。
その下には、
百番供養塔。
こちらは、
明治五年(1872年)のもの。
そのお隣は、
文化二年(1805年)の聖観音像。
明治二十五年(1892年)の普門品十万巻供養塔に、
剥離が目立つ明治十年(1877年)と明治七年(1874年)文字庚申塔。
明治二十年(1887年)の奉納八幡神社大願成とある石塔、
文久二年(1862年)と年紀不明の文字庚申塔2基。
明治三十五年(1902年)、
馬頭観世音塔。
1番右奥には新四國道標で、
手前は年紀不明の馬頭観世音塔。
奥が嘉永六年(1853年)の馬頭観音坐像で。
手前が安政四年(1857年)の馬頭観世音塔。
更に奥が明治十八年(1885年)の馬頭観世音塔で、
1番左端は塔の文字が何となく見えるがちょっとわからない。
という感じで、
18基並んでいる。
境内には、
お堂が3つ。
1番手前にあるのは(上の写真だと右)、
弘法大師が祀られていて昔の大師堂みたい。
次が、
観覚光音禅師を祀る光音堂。
74番
そして1番奥が、
新四国相馬霊場八十八ヶ所74番の大師堂。
左脇にあるのは、
大師堂再建記念碑。
そして、
安永五年(1776年)の新四國七拾四番とある標石。
その奥には、
明治十二年(1879年)の手水鉢。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
我孫子市下ケ戸地区。
新四国相馬霊場74番、
永光山 西音寺をお届けしました。
お堂が3つ並んでいるくらいか、
と思ったら本堂脇に18基もの石造物が並んでいたのでそれなりに楽しめるところだった。
コメント