我孫子市新木野
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市新木野地区から。
新木野はこんなところ
我孫子市新木野地区の新木野は、
しんきのではなくてあらきのと読む。
新木野には旧中央気象台布佐出張所跡地に平成十三年(2001年)に開園した、
気象台記念公園がある。
昭和十四年(1939年)から60年間、
気象送信所が設置されていた場所で今では公園になっている。
元々は台風の名付け親ともいわれ気象観測の第一人者として気象学の父と呼ばれた岡田武松氏が、
布佐町と交渉して土地を寄附してもらって気象送信所が設置されたようだ。
気象送信所の撤去後は、
地域気象観測システムアメダスが設置されている。
ちなみにアメダスはAMeDAS、
Automated Meteorological Data Acquisition Systemの略称。
単にAMDASではなくAMeDAS(雨出す)としたほうがおもしろいとの提案が採用されて、
略称を AMeDASとして読みをアメダスとすることとなったようだ。
新木野MAP
地図だと、
こんな感じで新木のお隣。
新木野地区 長福寺
ここには、
新四国相馬霊場八十八ヶ所札所の81番の長福寺がある。
概要
王桜山 長福寺の創始は不詳ながら、
長享2年(1488)権律師覚永と刻まれた板碑が残されていることから古くより堂庵があったという。
永禄元年(1558)龍泉寺の永楽法印が当地に隠棲、
寺院としたという。
明治六年(1873年)には、
廃寺となっている。
山門付近
廃寺なのだが、
入口には玉桜山と長福寺と刻まれた山門がある。
手前には、
明治四十四年(1911年)新四國八十一番標石。
入って右手には、
水準点。
左手には、
鳥居がある。
扁額には、
榊八幡大菩薩とある。
その先には、
お堂。
お堂の中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。
右手には、
新四國八十八番の御詠歌額。
左手には、
八幡大菩薩の扁額?
中央明治十八年(1885年)石祠には、
奇客人神霊とあるがこれはいったいなんだろう?
石造物
敷地内には、
かなりの数の石造物がある。
昭和九年(1934年)善光寺参拝記念碑に、
昭和十年(193年)相馬霊場第八十一番敷石新設記念碑。
更に昭和九年(1934年)弘法大師一千年御遠忌大法会高野山参拝記念碑が、
並んでいる。
奥に見えるのは、
寛文十一年(1671年)の庚申五輪塔。
その左には、
享保4年(1719年)青面金剛塔。
なんとか、
きれいな感じで残っている。
その左には、
5基の石造物が並ぶ。
前列は三基とも、
弘法大師像だろうか?
左のものはいつのものか?はわからないが、
真ん中のものは嘉永五年(1852年)のもの。
右は、
お顔の部分が差し替えられている大正三年(1914年)のもの。
台座には、
讃岐國四国八十八番結願所大窪寺…とある。
奥のものは、
天和二年(1682年)阿弥陀如来十五夜塔。
十五夜塔って、
今まで出てきてなかったような…
その右は、
延宝三年(1675年)念仏塔。
正徳元年(1711年)、
大日如来像。
像の下には、
為菩薩とある。
文化五年(1808年)?
奉黷誦…普経供養塔とあるもの。
嘉永三年(1850)、
如意輪観尊供養塔とある如意輪観音塔。
天保十三年(1835年)、
愛染明王塔。
元禄九年(1696年)、
文字青面金剛塔。
天保六年(1835年)、
聖観音像。
安政六年(1859年)、
子安観音像。
文化十三年(1816年)、
如意輪観音十九夜塔。
文政十年(1827年)、
如意輪観音十九夜塔。
文化八年(1811年)、
如意輪観音十九夜塔。
天明四年(1784年)、
如意輪観音十九夜塔。
文化六年(1809年)、
二十三夜塔。
まあなんにしても、
いろいろとある。
81番
さて、
この新木野 長福寺は新四国相馬霊場八十八ヶ所81番札所。
下総観音第二十二番
同時に、
下総三十三ヶ所観音霊場22番でもある。
中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。
天神宮
右手には、
更に文化四年(1807年)の天神宮石祠が祀られているお堂がある。
石祠の左には、
別當長福寺とある。
稲荷社
更に右手には、
稲荷社。
中は、
こんな感じ。
81番
そして観音堂左手には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所81番の大師堂。
手前の灯籠一対は、
大正二年(1913年)のもの
更に手前の手水鉢は、
明治三十三年(1900年)のもの。
大師堂左奥には、
明治三十二年(1899年)の新四國八十一番大師堂再建供養石とある社寺関係碑。
この81番の大師堂は、
なかなか彫刻が素晴らしい。
お堂の側背三面には、
十六羅漢の板彫刻が嵌められている。
これは、
江戸以来彫物大工の系譜を受け継ぐ二代目後藤藤太郎(竜ヶ崎住、文久元年〜昭和六年)によるもの。
この方は他にも葺不合神社本殿や正泉寺本堂、
延命寺虚空蔵堂なども手掛けているようだ。
大師堂の中の弘法大師坐像は、
文化四年(1807年)のもの。
敷地内には、
他に大正六年(1917年)鯖大師万人講の道標。
大正四年(1915年)、
新四國大師道道標なども。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング、
今回は我孫子市新木野地区。
新四国相馬霊場八十八ヶ所札所の81番、
今は廃寺となっている新木野 玉桜山 長福寺。
ここは、
下総三十三ヶ所観音霊場22番でもある。
石造物は古いものもあり、
かなり充実している。
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