前方後円墳
前原古墳のある高野山桃山公園から自転車ならほんの数分で行けるのが、同じく高野山の標高約20メートルの台地先端部にある前方後円墳、『水神山古墳』だ。
日本の古墳の形は大きく分けると前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4つに分類されるみたいだ。
大きくは、であって、細かく分けるともっといろいろな形がある。
方墳は四角、円墳は丸い。その円墳と方墳を組み合わせたものが前方後円墳だし、方墳を組み合わせたものが前方後方墳だね。
古墳時代は大和政権によって埋葬の風俗・風習が敷かれていたらしく、この中で最も高い位置付けなのが前方後円墳。
前方後円墳は3世紀中ごろに成立した形で大王やその一族、大和政権と密接な関係の地方の有力首長が埋葬されたらしい。
ということはこの水神山古墳に埋葬された人物はそれなりに地位が高く、大和政権と密接な関係にあったということなのだろうか?
まあ古墳のことは全く持って詳しくないが、なかなか興味深いものがある。
前原古墳のご近所が水神山後円墳
それでこの水神山古墳は、前出の前原古墳が三世紀代のものと確認されるまでは、我孫子市最古の古墳とされてきたもの。
今ではもう最古ではなくなってしまったけれど、東葛地区では最大の前方後円墳であることには何ら変わりはない。
その大きさは全長(周溝中心間距離)69m、後円部の直径36m、前方部の幅33m、周囲に設けられた周溝の幅約6m、後円部墳頂までの高さ約5m、前方部墳頂までの高さ約2.5m。うん、確かに大きい。
庭かよっ!とツッコミたくなるシチュエーション
ただ存在する場所が住宅地の中であり、崖側ではない横から見られる側は、何とギリギリまで家が建っている。なので、その大きさがいまいち掴めない感じになってしまっているのは何とも残念なことだ。
この古墳、見た目、何だかとても窮屈な場所に存在している。
もしもはないが、もしも周りに家がなくてもう少し離れて全体を見ることができたら、もっとその大きさを実感できるに違いない。
それでも、案内パネルのあるところから墳丘のある場所に入ってみれば、やはりそれなりに大きなものだということがよくわかる。
墳丘を上って歩いてみると多少なりともその大きさが実感できる。
もちろん、あの有名な日本最大の大仙陵古墳の墳丘長525m、高さ39.8mと比較すればとても小さいものだけど。
それにしても、家の目の前にフェンスも何もなく、まるで庭先に前方後円墳があるというのは、どんな感じなんだろうか?
実はこれって結構すごいというか、まずそう簡単にはこういったシチュエーションに住めることはないだろう。
ウチって前方後円墳が目の前にあって庭みたいなものなんだぜ、なんて言えちゃうのだから、やはりこれはなかなかすごいことだと思う。
ここに眠っていたのは女性⁈
ところで後円部の墳頂下には木棺が埋葬されていたようだ。
そこからはガラス玉280余個、ガラス管玉11個、滑石管玉1個、刀子2本、針数本の副葬品が発掘されている。
武器類は埋葬されていなかった。
これらのことから、この古墳が築造されたのは4世紀の終わり〜5世紀中頃までと考えられているようだ。
そして、被葬者はもしかすると女性だったかもしれないとみられている。これだけ大きなところに埋葬されたのがもし女性だとしたら、一体どんな人物だったのだろう?
そういえばこの辺りは古墳が多いが、パネルにはその被葬者が誰なのか?は全く出てこない。やはりこの時代の史料は乏しいのかもしれないし、どこかで調べれば出てくるのかもしれない。
でもよく考えたら、どこそこの誰それと仮に教えてもらったとしても、殆ど知識がないのでわからないで終わりそうな気もするけどね。
というわけで…
かなり窮屈な場所にあるこの前方後円墳だけれど、未だに前方後円墳だとわかりやすいままで、1,600年もの長きにわたって残っていたとはけ驚きだ。
古墳なんて…と思う方も多いかもしれないけど、ここに来て、前方後円墳の上を歩くと、何か見られて良かったなとか、ちょっと得したなとか、何かしら感じるのではないかと思うのだが、どうだろう?
しかし、写真だと実際に目の当たりにするのとは違って、古墳感があまり感じられないことに今更ながら気付いた。
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