南増尾地区
東葛印旛大師88ポタリング、
現在は旧柏地域。
その3回目は、
増尾地区に続いて南増尾地区。
南増尾地区は、
地図だとこんな感じで名戸ヶ谷地区のお隣。
この南増尾地区には、
東葛印旛大師の掛所が1つだけある。
南増尾地区
☆南増尾ふるさと会館 掛所
なので今回はあっさりと終わってしまうんだけど、
取り敢えずは寄り道。
南増尾の百庚申
南増尾の県道51号線沿いにある大衆割烹岩亀の脇に並んでいるのが、
南増尾の百庚申。
🔶南増尾の百庚申
ここにある百庚申は、
「天下泰平 国土安穏」の成就とともに青面金剛を供養した村人の講中の厄除けを祈るために江戸時代に造立されたもので、
たくさんの塔が立てられたのは多くの功徳を得られると考えたからです。
当時、
庶民に広く信仰されたのが庚申信仰です。
中国の民間信仰である道教から生まれ、
人間の体内には三尸虫という虫がいて干支の庚申の夜に人間の体内を抜け出しその人の罪科を天の神に告げると、
その身に災難がふりかかり命を縮めるというものです。
そのため庚申の日の夜は身を清め、
夜を明かす庚申待という行事が行われました。
行事の後には庚申の供養や講中の厄除けとして石像が造立され、
庚申塔の祭神を祀った「庚申塚」や「庚塚」などもつくられました。
付近には「庚申塚」という地名(小字)が残されています。
ここの庚申塔は、
青面金剛像を本尊として安置したものと「庚申」の文字を刻んだものがあります。
欠損のあるものを含め106基あり、
文化14(1817)年を始めとし、
天保7(1836)年と天保12(1841)年の3回にわたり百庚申講中により造立されたものです。
その後昭和12(1937)年までの間に21体が破損したため村中の寄付により再建されたことがわかります。
市内に残された百庚申は、布施の大師堂、松ヶ崎の香取神社、柏の諏訪神社、名戸ヶ谷の香取神社、手賀沼の沿道などに確認され、
庶民の民間信仰を知るための大切な文化財となっています。令和4年3月31日 柏市教育委員会
南増尾の百庚申説明板
左の天保七年(1836年)の青面金剛塔から始まるのだが、
文字庚申塔が多い。
ちなみに説明板には、
この左の青面金剛塔に刻まれている文字の図が載っている。
ここにある青面金剛像塔を順番に見ていくと、
こんな感じ。
手前に並んでいるもので、
欠損がないのはこれくらい。
あとは残念ながら、
ここに載せられるような状態にあらず。
それ以外では3列に並んでいる中に2基だけ、
きれいに残っているものがある。
なので、
そんなに見応えもないが三猿が文字庚申塔にも付いているのでそれはそれで面白い。
順番に並べていくと、
こんな感じ。
南増尾ふるさと会館の掛所
南増尾の百庚申のすぐ近くにあるのが、
南増尾ふるさと会館の掛所。
大師堂と、
隣の子安観音しかないので百庚申とは違ってすぐ次へとなる。
なので今回は、
ここまで。
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
旧柏地域の3回目で南増尾地区。
先ずは寄り道で、
南増尾の百庚申。
そして、
掛所の南増尾ふるさと会館。
他にも南増尾には見どころがあるんだろうけど、
今回はこれ以外は周らず。
いずれ、
またゆったりとあちこち行ってみようと思う。
東葛印旛大師南増尾掛所ポタリングMAP
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