逆井地区
東葛印旛大師88ポタリング、
現在は旧柏地域。
その4回目は、
南増尾地区に続いて逆井地区。
逆井地区は、
地図だとこんな感じで南増尾地区のお隣。
この逆井地区には、
東葛印旛大師の札所が2つがある。
逆井地区
①観音寺 69番札所
②厳島神社 48番札所
厳島神社
先ずは、
逆井厳島神社。
といっても、
窪地に橋が架かっている先に祠があるだけ。
扁額には、
俗ニ弁天様 厳島神社と書かれている。
何でもこの窪地は、
デーダラボッチ(日本各地で伝承される巨人)が東から西へ歩いたときの左足の跡と言い伝えられているらしい。
例の柏のむかしばなし、
でいたらぼっち(二)の舞台になっている。
ちなみに右足の跡もあって、
これはまだ行ったことはないが酒井根のイボ弁天の池みたいだ。
これだけ?と思ったら左に回ると、
大師堂と庚申塔が並んでいる。
大師堂の左側には、
不明の石祠。
1番奥の1基だけ、
道六神と読める。
大師堂左側には、
青面金剛塔と文字青面金剛塔。
1番前に3基並んでいる中の左は、
享保六年(1721年)の青面金剛塔。
真ん中のものは、
享保十三年(1827年)のもの。
右は、
享保十八年(1733年)のもの。
その後ろにある二列目右のものが、
貞享五年(1688年)庚申供養塔。
二列目真ん中が、
天保十二年(1841年)出羽三山供養塔。
二列目左が、
文化四年(1807年)青面金剛文字塔。
その後ろ、
三列目左が天保六年(1835年)青面金剛文字塔。
真ん中は不明だけど、
台座には信心講中の文字。
参列目右は、
寛保二年(1742年)青面金剛塔。
東葛印旛大師48番
さて、
東葛印旛大師。
大師堂に札があるように、
実際の四国八十八所霊場での第48番は西林寺。
所在地:愛媛県松山市高井町
創建年:(伝)天平13年(741年)
開基:(伝)行基
山号:清滝山
院号:安養院
寺号:西林寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:弥陀仏の 世界を尋ね 行きたくば 西の林の 寺に詣れよ
逆井観音寺
厳島神社からすぐのところに、
安楽山誓光院観音寺がある。
文禄年間(1593-1596年)に字中島に創建も元禄3年(1690年)火災により消失、
寛保2年(1742年)ここに移転して中興し観音堂は天明2年(1782年)に再建したと言われる。
入り口前には標石があって、
四国第六拾九番とある。
参道を進むと、
藤心にあった本多氏の代官所の表門を移築した山門。
山門を抜けると、
正面には銅灯籠。
左手には、
手水鉢。
その奥には、
准四国八十八ヶ所順拝結願記念之碑など。
力石が、
きちんと台の上に2つ。
こちらも柏のむかしばなし、
力石の舞台になっていて動画に飛ぶQRコード付きの標柱もある。
年不明の、
六地蔵。
館山一子歌碑が、
ある。
国境をはるかに越えて迫りくる波あり春の岸辺を洗ふ
歌碑のうた
国境をはるかに越えて迫りくる波あり春の岸辺を洗ふ
一子
歌人館山一子
本名
日暮いち
明治二十九年三月二十一日東葛郡土村逆井日暮家に
父治平、
母とみの長女として生まれる。
窪田空穂に師事、
のち昭和初期プロレタリア歌人同盟に参加、
合同歌集『新風十人』により脚光を浴びる。
昭和二十二年郷里逆井にて短歌雑誌「郷土」を創刊、
主宰。
後進の指導育成に専念、
その生涯を短歌に賭けた。
昭和四十二年十一月十四日、
七十一歳で逝去、
観音寺の日暮家墓処に眠る。
歌集に『プロレタリア意識の下に』『彩』『七月』(未刊)『李花』『李花以降』(未刊)。
これらはすべて没後刊行の『館山一子全歌集』におさめられる。平成七年七月 郷土短歌会
館山一子歌碑説明板
本堂。
観音堂。
その他、
あれこれ。
いずれにしても、
とてもこのお寺はキレイにされている。
東葛印旛大師69番
さて、
東葛印旛大師。
実際の四国八十八所霊場での69番は、
観音寺。
所在地:香川県観音寺市八幡町
創建年:(伝)天平勝宝元年(749年)
開基:(伝)行基
山号:七宝山
寺号:観音寺
宗派:真言宗大覚寺派
本尊:聖観音菩薩
真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:観音の 大悲の力 強ければ おもき罪をも 引きあげてたべ
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
旧柏地域の4回目で逆井地区。
ちなみに今更だが、
逆井はさかいではなくさかさいなんだよね。
最初は、
さかいと思っていたのだ。
今回は、
そんな逆井の東葛印旛大師48番のある厳島神社。
そして、
69番のある観音寺をお届けしました。
東葛印旛大師48・69番ポタリングMAP
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