平塚村大師と西区集会所掛所と中台堂掛所と東区集会所と東葛印旛大師第52番ポタリング

平塚地区1

白井地域平塚地区

東葛印旛大師88ポタリング、
今回からは白井地域の5地区となる。

改めて白井地域の札所は、
こんな感じだ。

白井地域:5地区
(1)平塚地区
  ①向台薬師堂 25番札所
  ②延命寺 65・84番札所
  ③東区集会所 52番札所
  ☆中台堂 掛所
  ☆西区集会所 掛所

(2)富塚地区
  ①西輪寺 24・55番札所
  ☆大下太子堂 掛所
  ☆中下大師堂 掛所
(3)名内地区
  ①東光院 66番札所
  ☆粟嶋神社 掛所(元?)
(4)今井地区
  ①東海寺跡 61番札所
(5)小名内地区
  ①稲荷神社 37・45番札所
  ☆梶原大師堂 掛所

その中から、
先ずは平塚地区から。

地図で示すと、
こんな感じ。

平塚村大師

この平塚地区には、
東葛印旛大師とは別の八十八ヶ所の標石とか大師堂などが何だかあちこちにある。

新しそうなものもあれば、
少し古そうなものも。

これは平塚新四国八十八ヶ所とか、
平塚村大師とか呼ばれているものらしい。

明治28年5月寺田治兵衛氏は、
弘法大師の御聖徳を慕い、
四国霊場巡拝の大願を成就、
これを記念して、
明治33年5月、
四国八十八ヶ所の霊場を写し平塚新四国八十八ヶ所とした。

白井町石造物調査報告書第三集

間違えそうになるが、
東葛印旛大師は場所が明確なので大丈夫。

探せばもっとあったんだろうけど、
今回は目に付いたものだけで。

西区集会所掛所と中台堂掛所

先ず西区集会所掛所
とは言っても何もない

あるのかもしれないが、
特に何も見つけられず集会所の建物だけ

近くには、
中台堂掛所がある。

平塚地区掛所

上の写真の右道路沿いには、
弘法大師像が勢ぞろいしていてこれも村大師の一部のようでこれが掛所になるのだろう。

平塚地区掛所

道路に背を向けて、
左から明治4年・5年(1871・72年)・弘化四年(1847年)・明治20年(1887年)の子安観音塔

平塚地区掛所

昭和29年(1954年)・明治25年(1950年)・大正13年(1924年)子安観音塔
明和六年(1769年)十九夜如意輪塔

平塚地区中台堂掛所

東区集会所

平塚地区東区集会所

西区集会場とは打って変わって、
東区集会所にはいろいろある。

道路から敷地内に入った正面左から、
平成十一年(1999年)本郷念仏記念碑安永三年(1774年)十九夜塔。

平塚地区東区集会所

天明七年(1787年)大乗妙典日本廻國供養塔
平成二年(1990年)の地蔵菩薩像

平塚地区東区集会所

文化八年(1811年)と、
文政九年(1826年)の十九夜塔

平塚地区東区集会所

右側面奥から天保十四年(1843年)と慶応三年(1867年)の子安塔
明治十九年(1886年)十九夜塔

平塚地区東区集会所

明治七年(1874年)と大正七年(1918年)の文字二十三夜塔に挟まれて、
大正元年(1912年)の子安塔

平塚地区東区集会所

昭和八(1933年)・二十八年(1953年)・四十年(1965年)
子安塔

平塚地区平塚村大師

昭和五十八年(1983年)と、
平成十一年(1999年)の子安塔

平塚地区東区集会所

と言った具合に、
女性を主としたものばかりが集められている。

東葛印旛大師第52番札所

平塚地区東区集会所東葛印旛大師第52番

この東区集会所は、
東葛印旛大師第52番でもある。

何故かこの時大師堂の写真を撮り忘れたので、
2020年の時のもので。

実際の四国八十八所霊場第52番は、
太山寺

平塚地区東区集会所東葛印旛大師第52番

所在地:愛媛県松山市
創建年:(伝)用明天皇2年(587年)
開基:(伝)真野長者
山号:瀧雲山
院号:護持院
寺号:太山寺
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:太山へ のぼれば汗の いでけれど 後の世思へば 何の苦もなし

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域平塚地区掛所中台堂と何もなかった西区集会所

そして、
東区集会所とそこにある第52番札所をお届けしました。

東葛印旛大師第52番ポタリングMAP

過去分1はこちら

過去分2はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

コメント

タイトルとURLをコピーしました