今井地区
ここまでの東葛印旛大師は、
こちらを見ていただくとして。
今回からは、
前回までの平塚地区に続いて白井市域の2つ目になる今井地区。
今井地区は、
地図だとこんな感じ。
今井の桜、
で有名なところだけどどのレベルの有名さか?はわからない。
今井地区には、
1つの札所がある。
今井地区
①東海寺跡 61番札所
2020年今井のたまご
今回は寄り道というものは、
特にないけど以前(2020年)の写真から。
直売今井のたまご、
という看板のところに見つけたのが透明のコインロッカー型自販機に入ったたまごたち。
大とか小とか、
いろいろとある。
B品お徳用とか、
ふたご 黄身2つの🐤🐤可能性高しとか。
初たまご若メスの初産みたまごたっぷり入っています、
とか何だか面白いものだった。
今回はここを通らなかったが、
今もきっとあるんだろう。
楽天市場に【ふるさと納税】卵 30個 10個×3箱 2L L ミックス 今井のたまご、
というのもあったしな。
今井の水塚
東葛印旛大師61番の東海寺跡と道を挟んだところに、
今井の水塚という説明板があった。
みずつかではなく、
みづか。
白井市指定有形民俗文化財
今井の水塚所有者と所在地
増田徳平 今井四十番地の一
岡田照夫 今井九十二番地
酒井隆一 今井二〇一番地
今井一喜 今井二三四番地
今井 薫 今井二三五番地
今井庄一 今井二六五番地
鈴木太巳生 今井三一七番地指定年月日 平成九年八月五日
水塚とは、
河川や湖沼の氾濫による洪水から自分たちの生活や財産を守ることを目的として屋敷内に築かれた土盛りや、
その上に設けられた建造物を総称していう。
水塚と同様の機能を持つ建造物は大きな河川の流域に数多く確認されており、
例えば木曽川流域では水屋や水倉などと湖沼されている。
千葉県内では、関宿町、印西市、栄町、本埜村など利根川下流域にみられ、このことから利根川や印旛沼、手賀沼が頻繁に洪水を起こしていたことが理解できる。
白井市の水塚は、
金山落に沿った今井地区に十一箇所が現存している。
いずれも屋敷の四隅の一箇所に土盛りをし、
その上に蔵などを構築している。
起源ついては資料が残されていないため詳細は不明であるが、
今井新田が開発された近世まで遡るものとされる。
近年では大正一〇年、
昭和十三年、
昭和十六年に手賀沼が大きな氾濫を起こしたが、
その際には避難場所として大きな威力を発揮したという。
今井の水塚は、
手賀沼の洪水から自分たちの生活を守るために考え出された、
人々の工夫を示す資料として非常に重要である。平成十年三月三十一日
今井の水塚説明板
白井市教育委員会
個人宅なので、
写真は掲載していないが確かに小高くなっている場所が敷地内にそれぞれあった。
そういえば、
以前に旧井上家住宅で水塚の上に建てられた蔵を見たことがあった。
東海寺跡
今井の水塚の説明板と道を挟んだ向かいにあるのが、
東海寺跡というか白井市消防団第三分団今井と今井青年館のところ。
まずまだ新しそうな六地蔵が目に入るが、
そのうしろに享和二年(1802年)の一石二体六地藏。
その右には不明の石塔、
伊勢神宮・金毘羅神社参拝記念碑。
敷地内の左隅には、
色々と12基も並んでいる。
左から寛政六年(1792年)金剛界大日如来、
明和七年(1770年)と享和二年(1717年)の十九夜塔。
文久二年(1737年)と元禄十三年(1697年)の十九夜塔に挟まれて、
天保十一年(1840年)の二十三夜文字塔。
年不明の十九夜塔に文政13年(1830年)子安観音が浮彫になっている石祠、
文政十二年(1829年)の待道大権現石祠。
嘉永五年(1852年)の待道大権現石祠、
不明の石祠に文化十三年(1816年)の十九夜塔。
東葛印旛大師第61番
さて、
この東海寺跡にある東葛印旛大師は61番。
六地蔵手前には、
新四國六十一番の標石。
実際の四国八十八所霊場での第61番は、
香園寺。
所在地:愛媛県西条市小松町南川
創建年:(伝)6世紀末
開基:(伝)聖徳太子
山号:栴檀山
院号:教王院
寺号:香園寺
宗派:真言宗御室派
本尊:大日如来
真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
御詠歌:後の世を 思えば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白滝の水
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域の今井地区。
今井の水塚と、
今井のたまご。
そして61番のある、
東海寺跡は石仏・石祠と共にでした。
東葛印旛大師第61番ポタリングMAP
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