平塚地区
①向台薬師堂 25番札所
②延命寺 65・84番札所
③東区集会所 52番札所
☆中台堂 掛所
☆西区集会所 掛所
今回は白井地域、
平塚地区の2回目で延命寺。
ここはとにかく石造物のオンパレード、
というくらいいろいろとある。
延命寺
延命寺入口~山門
平塚地区にある真言宗豊山派普登山蓮華院延命寺は、
寺伝によると寛弘二年(1005年)に賢澄上人が開山したといわれる。
入口の手前左には、
文化五年(1808年)の東葛印旛大師第84番の標石。
65番の方は、
ここにはない。
参道右は、
駐車場になっている。
駐車場には東屋や、
不明の建物などなど。
山門までの参道は、
しろい七福神の赤い幟左が並んでいる。
更に左手には、
既にいろいろ。
手水舎に、
灯明台。
そして、
延命寺観音堂・十九夜塔・火伏の札についての説明板。
千葉県指定有形文化財(建造物)
延命寺観音堂
指定年月日 平成十四年三月二十九日白井市指定有形民俗文化財
延命寺十九夜塔
指定年月日 平成二十四年三月二十七日延命寺火伏の札ふだ
指定年月日 平成二十五年三月二十六日所在地 平塚字寺向九三九番地
管理者 宗教法人延命寺普登山蓮華院延命寺は真言宗豊山派に属する寛弘2年(一〇〇五)開基と伝わる古刹です。
現在地に移転したのは江戸時代前期で、
本堂からは萬三三年(一六六〇)の墨書銘を持つ市指定文化財「延命寺の火伏せの札」(原則非公開)が発見されています。
この木札は剣梵天と呼ばれ、
出羽三山信仰で用いられるものです。
本札は延命寺本堂建立の年代を示す貴重な資料であり、
当市の三山信仰を示す最古例であるとともに、
東葛・印旛地方でも最古のお札として重要なものです。
その後、
境内諸堂が整備され、
中でも貴重なのは石川県金沢の大工の手により寛文八年(一六六八)に完成した「延命寺観音堂」です。
主要部がよく残されており、
県内の他の三間堂とは様式手法・意匠が異なり禅宗様の要素が濃い点が特徴で、
県指定文化財に指定されています。
境内本堂脇には市指定文化財「延命寺の十九夜塔」があります。
六臂の姿の如意輪観音像が陽刻された本十九夜塔は寛文10年(一六七〇)に制作された市内最古の民問信仰に基づく石造物として重要なものです。平成二十五年八月二十三日 白井市教育委員会
延命寺観音堂/十九夜塔/火伏の札 説明板
先には、
宝暦八年(1758年)三界萬霊塔の丸彫地蔵。
その左手には、
昭和三十七年(1962年)印西大師結願記念碑。
更に隣には、
明治十一年(1878年)職人講中が建てた文字聖徳太子塔。
その隣は、
平成元年(1989年)の新四國一番・八十八番の標石。
その奥は南無大師遍路金剛碑で、
両脇には新四國…と刻まれた標石。
あと、
昭和五十六年(1981年)高野山奥の院・西国・秩父・坂東百観音巡拝記念碑。
朱塗りの山門には、
延命寺の維持管理の変遷の説明板。
天神の社周辺
山門を抜けた左手には、
天神の社。
屋根には、
梅の紋。
この天神社の奥には、
大正三年(1914年)の筆子塔だろうか?平井先生之碑。
少し離れて、
明和元年(1764年)・天明三年(1783年)・文化十一年(1814年)の金剛界大日如来塔。
左から延享四年(1747年)大乗妙典日本廻國塔、
貞享四年(1687年)三猿付庚申供養塔に宝暦五年(1755年)十九夜念仏如意輪観音塔。
大師千百年御遠忌記念塔や、
出羽三山塔。
この先に西側の道路から入る参詣道があって、
向かいにも出羽三山塔が沢山並んでいる。
道路沿い庚申塔
参詣道から出ると、
道路沿いには庚申塔が並んでいる。
一基写ってないけど左から、
昭和五十三年(1978年)・明治二十九年(1896年)・昭和四十九年(1974)・昭和二十五年(1950年)の文字庚申塔。
文化十二年(1815年)の文字青面金剛塔に享和元年(1801年)の種子庚申塔、
宝暦六年(1756年)ショケラ持の青面金剛塔に安永七年(1778年)文字青面金剛尊。
更に、
天保十年(1839年)・萬延元年(1860年)・明治十五年(1882年)の文字庚申塔
本堂・観音堂・鐘楼
正面に見えるのが、
寛文8年(1668年)の建立の本堂。
本尊は延命地蔵尊で、
大黒天も祀られている。
手前左には、
観音堂。
境内西側の道路には、
説明板。
千葉県指定有形文化財(建造物)
延命寺観音堂
所在地 平塚九三九番地
管理者 宗教法人 延命寺
指定年月日 平成十四年三月二十九日延命寺は真言宗豊山派の寺院で、
寺伝によると寛弘二年(一〇〇五年)の開基とされる。
その後幾度か寺地が移動し、
元和元年(一六〇二年)に平塚村の大火で焼失した後、
万治三年(一六六〇年)に現在地に本堂が再建されたことが火伏せの札の発見により確認された。
また、
平成十四年十二月には第二次大戦で供出した梵鐘が新たに鋳造され、
鐘楼も再建された。
この観音堂は「観音堂申事丁未(一六六七)正月ヨリ始メ戊申(一六六八)六月十六日建立成就ス。
大工加賀国賀州金沢藤原朝臣小田四郎左ヱ門、
同国脇大工清水佐治兵衛」と記された棟札写し及び建築様式からみて、
金沢の大工の手により、
本堂再建後、
寛文八年(一六六八年)に造立されたと考えられる。
観音堂の構造は、
方三間堂と呼ばれる形式であるが、
全体に木割が細いことや唐様三手先の組物を巧みに利用するなど、
同時期の千葉県内の方三間堂にはみられない特徴を有し、
棟札に記載された金沢の大工の手による建築であることを裏付けている。
また、
屋根は入母屋づくりで、
もとは茅葺きであったが、
昭和三十年に鉄板葺きに、
昭和五十七年には銅板葺きに改められるとともに、
建具や縁回りの改修が行われた。
本観音堂は、
禅宗様式をとる古建築の作例として、
また、
他国の大工が建てた遺例として、
学術的価値が高い建造物である。平成十五年一月三十一日 白井市教育委員会
延命寺観音堂説明板
建物の前には、
千葉県指定有形文化財の指定書。
観音堂の向かいには、
鐘楼がある。
手前には、
まだ新しい句碑。
明六つの
延命寺句碑
鐘じょうじょうと
夏をつげ
藍青
元の鐘は戦時に供出しており、
現在の鐘は平成十四年(2002年)に新たに鋳造されたもので鐘楼もこの時に再建されたようだ。
この梵鐘の図柄【二都花宴図】は、
田村能里子さんによるものだそうだ。
大師堂周辺
本堂脇には、
印西大師54番のお堂がある。
その隣の少し高い場所には、
東葛印旛大師65番・84番の大師堂があるのだがこの辺りにもあれこれいろいろ。
左から明治七年(1874年)弘法大師千五十年遠忌供養塔、
明治六年(1873年)一万人講供養塔。
天明三年(1783年)馬頭観音塔、
嘉永元年(1848年)南無大師遍照金剛塔に弘法大使供養塔に隠れている線彫大師像碑。
その先には天宝十五年(1844年)文字大日如来塔、
文久三年(1863年)湯殿山主尊出羽三山塔に嘉永三年(1850年)観世音菩薩普門品供養塔。
延命寺の十九夜塔
そして、
白井市指定 有形民俗文化財 延命寺の十九夜塔とある白い標柱。
この十九夜塔は、
安山岩製で高さは126cmです。
中央に如意輪観音像が陽刻され、
後背には年月日と願文が陰刻されます。
寛文十年(1670年)に制作された本十九夜塔は、
市内最古の民間信仰に基づく石造物であり、
石仏としても最古のものとして、
人びとの生活の推移を理解する上で重要なものです。この如意輪観音像は、
延命寺の十九夜塔標柱
六臂の姿で彫られています。
左手は第一手は宝輪を捧げ、
第二手は蓮茎を執り、
第三手は垂らして膝上におきます。
右手は第一手は頬に当て、
第二手は宝珠を捧げ、
第三手は後方に垂らして数珠を執ります。
左手前のものがそれで寛文十年(1670年)の十九夜塔如意輪観音像、
右は元禄十三年(1700年)の十九夜塔如意輪観音像。
どちらも、
なかなか美しい。
この近くには、
延宝五年(1677年)来迎阿弥陀像。
東葛印旛大師第65・84番
さて、
東葛印旛大師。
お堂は先ほど出てきた、
印西大師54番の隣の高いところにある。
お堂の隣には、
弘法大師像。
実際の四国八十八所霊場での第65番は、
津照寺。
所在地:高知県室戸市室津町
創建年:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:由霊山
院号:真言院
寺号:津照寺
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観音菩薩
真言:おん かかかびさんまえい そわか
御詠歌:おそろしや 三つの角にも いるならば 心をまろく 慈悲を念ぜよ
実際の四国八十八所霊場での第84番は、
屋島寺。
所在地:香川県高松市屋島東町
創建年:(伝)天平勝宝6年(754年)
開基:(伝)鑑真
山号:南面山
院号:千光院
寺号:屋島寺
宗派:真言宗御室派
本尊:十一面千手観音菩薩
真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:梓弓 屋島の宮に 詣でつつ 祈りをかけて 勇む武夫
というわけで…
今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域平塚地区の石像物のオンパレードの延命寺。
その、
延命寺にある第65・84番札所をお届けしました。
東葛印旛大師第65・84番ポタリングMAP
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