名内鳥見神社と元掛所粟嶋神社と東光院東葛印旛大師第66番ポタリング

東葛印旛大師第66番ポタリング

名内地区

ここまでの東葛印旛大師は、
こちらを見ていただくとして。

今回からは、
前回の今井地区に続いて白井市域の3つ目になる名内地区

名内地区は、
地図だとこんな感じ。

名内地区には、
1つの札所元掛所がある。

名内地区
  ①東光院 66番札所
  ☆粟嶋神社
掛所

名内鳥見神社

名内鳥見神社

先ずは寄り道、
名内鳥見神社

石造鳥居の奥には木造鳥居だけど、
どちらにも扁額がない。

鳥居の左脇には、
庚申塔が並んでいる。

左から大正十五年(1926年)文字庚申塔に元禄七年(1694年)六臂合掌青面金剛塔
そして文政四年(1821年)文字庚申塔

名内鳥見神社

写真にないが文化十三年(1816年)文字庚申塔文政十年(1827年)文字庚申塔
享保四年(1719年)青面金剛塔・延享元年(1744年)三猿庚申塔・明治十五年(1882年)出羽三山塔

名内鳥見神社

境内には、
いくつかの石祠

安永三年(1774年)不明石祠
文久五年(1865年)疱瘡大明神石祠

名内鳥見神社

明治四年(1871年)駒形明神石祠
嘉永五年(1852年)大六天石祠などなど。

名内鳥見神社

参道の先には、
拝殿

名内鳥見神社

拝殿の奥には、
本殿

名内鳥見神社

残念ながら、
彫刻は殆ど施されていない。

名内鳥見神社

元掛所の名内粟島神社

名内地区粟島神社

続いては、
東葛印旛大師元掛所粟島神社

急な石段を上がると、
両脇に石塔・狛犬・木造の鳥居

手前の石塔の右側は万人講の文字、
左側は別當東光院とか名主…とかの文字が読める。

境内で最初に目に付くのは、
小さな鳥居

名内地区粟島神社

左側にある、
手水舎の先。

名内地区粟島神社

これは潜り抜け鳥居で、
説明板には病難苦難を『潜り抜け』て無病息災とある。

平成十九年(2007年)のものなので、
まだ新しい。

名内地区粟島神社

潜り抜け鳥居の先には、
不明のお堂

名内地区粟島神社

正面の拝殿左には、
3基の石祠

手前から寛政三年(1791年)の稲荷大明神と、
明治二十八年(1895年)八坂神社慶応四年(1868年)大己貴命・粟島大明神・少彦名大命石祠

名内地区粟島神社

拝殿右には、
不明のお堂

名内地区粟島神社

拝殿には鳥居になかった扁額があり、
粟島神社とわかる。

名内地区粟島神社

絵馬があったが、
木製ではなく銅製のもの

蛙が柳に飛びつこうとしているのを見ている人物のこの構図、
何かで見た気が…小野道風と蛙なのかな?

名内地区粟島神社

粟島神社から次の東光院に向かう途中に見つけた
二十●夜塔

名内地区粟島神社

宝暦4年 (1754年)かな?
供養地蔵

名内地区粟島神社

東光院

名内地区東光院

正式には、
茲眼山東光院観音寺

ここには白井市指定有形文化財の木造観音菩薩立像と、
木造地蔵菩薩立像が安置されている。

名内地区東光院

門の手前に、
説明板があった。

名内地区東光院

白井市指定有形文化財(彫刻)

東光院の木造観音菩薩立像
指定年月日 平成二十七年三月二十三日
東光院の木造地蔵菩薩立像
指定年月日 昭和五十七年一月二十七日
所在地 名内字屋敷廻五四五番地
管理者 宗教法人東光院

真言宗豊山派の茲眼山東光院観音寺は、
かつて柏市手賀に所在する興福院の末寺でしたが、
その由緒は不明です。
本尊の木造観音菩薩立像は割矧造で像高は五十三・二cmを測ります。
玉眼を嵌入し、
全身を漆箔仕上げとします。
本像は十五世紀頃の製作と見られ、
全体によくまとまり、
衣文表現も巧みで、
市内に残る室町時代の尊像の中でも大型の佳作であり、
白井市の歴史上で重要なものです。
木造地蔵菩薩立像は像高六十三・五cmの一本造で、
体幹部は両側面から内刳りを施し、
両側から別材を寄せます。
その穏やかな顔立ちなどは平安時代初期の作風を踏襲します。
明治二十四年(一八九一年)四月二十四日に名内地区を襲った大火災の際に焼失を免れたことから「火伏せの地蔵様」とも呼ばれ信仰を集めています。
像内には墨書銘があり、
元亀二年(一五七一年)に佐妻(現鎌ヶ谷市佐津間)の真如坊が製作したもので、
当時の名内地区が下総國印西庄平塚郷名折村と呼ばれていたことが確認できます。
本尊は、
中世に遡る市内最古級の像内銘記を持つ仏像であり、
白井市の歴史上で重要なものです。

※見学の際には管理者の了承を得てください。

平成二十七年七月一日
白井市教育委員会

木造観音菩薩立像/木造地蔵菩薩立像説明板
名内地区東光院

境内左には、
いろいろと並んでいる。

最初のお堂には、
明治十三年(1880年)の子安観音

名内地区東光院

次のお堂との間には、
年不明の十九夜如意輪観音塔

名内地区東光院

宝暦十一年(1761年)
薬師如来像

名内地区東光院

年不明、
不動明王大師像

名内地区東光院

文化十二年(1815年)
一億供養塔と呼ばれる道標を兼ねた名号塔

名内地区東光院

安永二年(1773年)
六地蔵

名内地区東光院

文久二年(1862年)と天保二年(1813年)の出羽三山塔
宝暦十一年(1761年)六十六部廻國塔

名内地区東光院

宝暦七年(1757年)地藏塔宝暦四年(1754年)地藏坐像寛文十三年(1673年)阿弥陀如来像
2つ(墓碑なので)飛ばして貞享五年(1688年)寛文十一年(1671年)如意輪観音塔

名内地区東光院

東葛印旛大師第66番

名内地区東光院

さて、
東葛印旛大師66番もこの並びにある。

名内地区東光院

66番の標石は、
門の手前にあった。

名内地区東光院

実際の四国八十八所霊場での第66番は、
雲辺寺

名内地区東光院

所在地:徳島県三好市池田町白地
創建年:延暦8年(789年)
開基:(伝)空海(弘法大師)
山号:巨鼇山
院号:千手院
寺号:雲辺寺
宗派:真言宗御室派
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばさらたらま きりく そわか
御詠歌:はるばると 雲のほとりの 寺に来て 月日を今は 麓にぞ見る

というわけで…

今回の東葛印旛大師88ポタリングは、
白井地域の名内地区

名内鳥見神社と、
元掛所である粟嶋神社

そして、
東光院東葛印旛大師第66番でした。

東葛印旛大師第66番ポタリングMAP

過去分1はこちら

過去分2はこちら

過去分3はこちら

他の東葛印旛大師88ポタリングはこちらから

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