雁金山の戦い
永禄五年(1562年)、
現在の取手競輪場に大鹿城を築いていた大鹿太郎左衛門を討った小文間城主一色宮内少輔政。
その報を聞いて駆けつけた、
高井城主高井十郎直徳と一戦を交えることになる。
その隙に柴崎城主荒木三河守が、
小文間城を陥落。
慌てた一色宮内が小文間城に軍勢を返すも、
待ち構える荒木勢と追ってきた高井勢の挟み撃ちに合って敗れることになる。
これが、
雁金山の戦い。
雁金山の戦いに敗れた一色宮内少輔政良が高井・荒木勢に捕らえられて処刑された場所から、
一色家の鬼門に堂を造り移した場所がある。
それが今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
周辺スポット首欠け地蔵の場所だという。
小文間 首欠け地蔵
入口には、
明治十六年(1883年)の常夜燈。
同じく、
明治十六年(1883年)の手水鉢もある。
あとは、
新四國大師道の道標がある。
文字は、
ちょっと読めない。
これは、
大正時代のものみたいだ。
奥に、
地蔵堂がある。
中は、
こんな感じ。
なぜかお顔に、
眉・目・鼻・口が描かれてるが悪戯というわけはないだろう。
小文間小学校
この首欠け地蔵のすぐ近くには、
小文間小学校跡がある。
この小学校は、
明治六年(1873年)に西光院に開校したのが始まり。
ただ、
平成二十七年(2015年)に廃校になってしまった。
旧小文間小学校はその後、
旧井野小学校と旧吉田小学校の3校統合により取手東小学校となったようだ。
小学校跡は、
今のところそのままの状態で残っているようだがこの先どうなるのだろう?
校門脇に、
頌徳碑がある。
中村熊次郎という方が小文間小学校移転の際に畑を寄付、
ここに小文間小学校が建てることが出来たらしい。
小文間 エビヤ
首欠け地蔵の左にあるのが、
食事処 エビヤさん。
お店に入ると、
犬が出迎えてくれた。
おばあちゃんが、
お一人でお店を切り盛りしている。
ただ御常連さんが、
料理を運んだりもしている。
メニューは、
いろいろ。
特上 モツ煮こみ定食 ¥900、
が気になったので注文。
これが、
何気に美味しいのだ。
若干味はしょっぱめだけれど、
白飯と合うし手作りお新香で途中さっぱりとさせられる。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市小文間地区。
周辺スポットということで、
小文間 首欠け地蔵を訪ねた。
近くには、
平成二十七年(2015年)に廃校になってしまった小文間小学校跡がある。
そして、
食事処エビヤ。
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