青山 八幡神社
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
今回は、
我孫子市青山地区の周辺スポットということで青山 八幡神社。
概要
青山八幡神社の創建年代等は、
不詳。
古来より、
集落の鎮守社だという。
青山八幡神社は、
新四国相馬霊場65番日照山無量院のすぐ隣にある。
無量院本堂左手には、
八幡神社への入口がある。
こちらからだと、
社殿がすぐだ。
その前に左脇に、
弘法大使像がある。
その手前には、
大師道標らしきものがあったりする。
参道脇の石造物
八幡神社の参道脇には、
結構いろいろなものがあるんだけれどかなり荒れている感が強い。
それでもまあ、
順番に見ていこう。
まずは、
社殿に向かって参道右を辿ってみる。
八坂神社に、
不明の石祠3基。
元禄六年(1693年)、
大日如来像。
倒れているのは、
大正五年(1916年)のご即位記念碑。
明和八年(1771年)、
子育地蔵。
天保四年(1833年)、
文字青面金剛塔。
明和六年(1769年)、
手水鉢。
嘉永三年(1850年)、
出羽三山記念碑。
庚申塔に富士浅間神社に、
伊勢太々神樂講。
昭和四年(1929年)、
新四國大師道道標。
ただどこ?がなくて、
側面には青山大師講中とかなんだよな。
ここが八幡神社の石段を上がった入口で、
今度は参道左手。
道六様とあるのは、
元禄十二年(1699年)のもの。
文化十?年(1813~1818年)、
傘がないけど常夜燈。
元文二年(1737年)、
青面金剛塔は倒れている。
かなり良い状態のものなのに、
何だか残念な感じ。
万治二年(1659年)、
板碑型三猿庚申塔。
万治の元号は、
多分初めてかもの古さ。
鳥居まできたので、
あと少し。
元禄七年(1694年)、
得大勢至観音二十三夜塔。
待道大権現は、
やはり玉垣に囲まれている。
玉垣には女人講中、
嘉永七年(1854年)。
天保十一年(1840年)、
二十三夜塔。
文化二年(1805年)、
青面金剛塔。
文政九年(1826年)、
青面金剛塔。
倒れているのは、
文政三年(1820年)?青面金剛塔。
寛政十二年(1800年)、
十九夜塔。
文久三年(1863年)、
不明の石祠。
崩壊混在、
石造物。
宝暦五年(1755年)、
歸命日天子とあるがわからない。
赤い鳥居の先には、
享保十七年(1732年)の稲荷大明神石祠。
宝暦四年(1754年)、
青面金剛塔。
大正六年(1917年)、
別雷神社石祠。
明和六年(1769年)、
手水鉢。
こんな感じで、
倒壊しているものも多いけれど古い石造物が多くて実はかなり充実した場所だったのだ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
青山地区。
新四国相馬霊場65番日照山無量院のお隣、
青山八幡神社をお届けしました。
倒壊しているものも多いけれど、
実は万治二年(1659年)板碑型三猿庚申塔のようなかなり古い石造物もたくさんある。
なので、
かなり充実した場所だったのだ。
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