布佐 浅間神社 89番

布佐 浅間神社

布佐地区

さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング

今回は、
我孫子市布佐地区から。

布佐はこんなところ

ふさと同音、
麻の生育した所に由来するという説がある。

地形地名でみれば、
塞ぐと関係し山などが周囲にある地の意味とか崩壊して塞がる意味とかが考えられるらしい。

まあいつも通り、
正解はわかるはずもなく。

布佐MAP

地図で見るとこんな感じで、
かなり入り組んだ形。

布佐地区 浅間神社

その布佐にあるのが、
今回の布佐地区 浅間神社

この浅間神社の石段の左と道を挟んだところに、
2つの番外89番札所がある。

概要

正保二年(1645年)の鎮座
といわれている。

御祭神は、
木花之開耶姫命

浅間神社へは鳥居のある正面の石段と、
脇道の石段を上る2つのルートがある。

鳥居周辺

布佐 浅間神社

鳥居に扁額はなくて、
右下に置かれている。

そこには、
仙元宮とある。

布佐 浅間神社

浅間神社ではなくて
仙元神社が正式なのかな?

鳥居左脇には、
ちょっと変わったデザインの天保八年(1837年)疱瘡神石祠

布佐 浅間神社

倒れているものは、
上部にとういう字があるようなないような。

布佐 浅間神社

右は文化七年(1810年)二十三夜供養塔
左は昭和八年(1933年)浅間神社新築並ニ鳥居再建記念碑

布佐 浅間神社

昭和十二年(1937年)
伊勢両宮神社佛閣参拝記念碑

布佐 浅間神社

年紀不明
冨士講紋の刻まれている石塔寄進碑

布佐 浅間神社

文政八年(1825年)
文字庚申塔

布佐 浅間神社

宝暦十年(1760年)
青面金剛塔

布佐 浅間神社

古いもののわりに、
随分きれいに残っている。

宝暦四年(1754年)
如意輪観音十九夜塔

境内

鳥居を抜けて、
石段を上っていく。

布佐 浅間神社

狭い敷地ですぐに社殿かと思いきや、
一直線ではなくくねくねとした参道

灯籠一対は、
昭和六十二年(1987年)に復元したもの。

布佐 浅間神社

手水鉢は、
文化十三年(1816年)のもの。

布佐 浅間神社

そして、
社殿

布佐 浅間神社

こちらも、
仙元宮の扁額

布佐 浅間神社

脇参道石段周辺

脇参道からの入口から上っていくと、
石祠がいくつかある。

布佐 浅間神社

明和七年(1770年)
子安大明神

布佐 浅間神社

天明四年(1784年)
天満天神宮

布佐 浅間神社

明和七年(1770年)
石尊大権現

布佐 浅間神社

文政十二年(1829年)
小御嶽石尊大権現

布佐 浅間神社

番外89番

さて、
ここは番外の89番札所

道を挟んだ大師堂

大師堂は、
なぜか2つある。

1つは、
道を挟んだところ

ここは地区的には、
浅間前新田になるのかな。

布佐 浅間神社

第八十九番、
とある札

御詠歌額には、
オリジナルの御詠歌

布佐 浅間神社

八十や九によろずの願い富士浅間
大師の恵み深き手賀沼

布佐 浅間神社

お堂の中には、
弘法大師坐像

布佐 浅間神社

脇には、
安永五年(1776年)四國霊場の標石。

布佐 浅間神社

大正四年(1915年)
伊勢参拝記念碑

布佐 浅間神社

鳥居脇の大師堂

もう1つは、
浅間神社鳥居の左手

布佐 浅間神社

こちらにも、
第八十九番の札

お堂の中には、
こちらももちろん弘法大師坐像

こちには、
御詠歌額はない。

布佐 浅間神社

額はあるが、
真ん中には南無大師遍照金剛とある。

布佐 浅間神社

もしかすると、
こちらは新しいものなのかもしれない。

89番はなぜあるのか?

どうして、
この番外ができたのか?

ちゃんと、
言い伝えがある。

新四国相馬霊場八十八ヶ所発願主の観覚光音禅師が八十八ヶ所札所を全部造り終えて
浅間神社の下を通りかかった時のこと。

何度も自分を呼ぶ声が聞こえるが、
人の気配がない。

これは弘法大師が此処に札所を造れと命じられたものと思い
89番を開基したと云われている。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
布佐地区 浅間神社

新四国相馬霊場八十八ヶ所の札所はないが、
番外の89番の大師堂が2つあるところ。

ここを観覚光音禅師が通った際自分を呼ぶ声を聴き
それが弘法大師が此処に札所を造れと命じられたものと思い89番を開基したと云われている。

88 & 周辺ポタリング MAP

他の88ポタリング-2はこちらから

88ポタリング-1はこちらから

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