布佐下新田 稲荷神社 41番

布施下新田地区 稲荷神社

布佐下新田地区

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング
今回は我孫子市布佐下新田地区

布佐下新田はこんなところ

布佐下新田は、
新田が付くからかつて手賀沼だったところ。

布佐下通りを挟んで、
布佐の南に位置する。

旧井上家住宅のある相馬新田と、
多分開墾者の名前にちなむ三河屋新田の間にある地区。

布佐下新田MAP

地図だと、
こんな感じ。

開発済世碑

前回の布佐 浅間神社からだと、
自転車で3分程のところにある41番札所の稲荷神社

その稲荷神社に向かう途中の道路脇、
旧井上家住宅の裏には開発済世碑がある。

布佐 開発済世碑

説明板があるので、
読んでみる。

布佐 開発済世碑

開発済世碑

この碑は、
手賀沼の開墾を目的とした組合である相馬耕地整理組合(昭和三(一九二八)年設立)と、
道下耕地整理組合(昭和十一年設立)の開墾業務完了を記念して昭和二十七年に建てられたものです。
この開墾は、
太平洋戦争をはさんで約二十三年にもおよぶ大規模なもので、
明治期の相馬新田の農地面積は三十町歩でしたが、
事業により区域は百二十町歩となりました。
その開墾を主導したのが相馬新田名主の井上二郎(一八七三~一九四一)です。
井上家は、
江戸時代の享保の改革で行われた手賀沼・印旛沼干拓に江戸から参入しましたが、
度重なる水害で干拓事業は思うようには進みませんでした。
井上二郎は東京都帝国大学卒業後、
土木技師として各地を回り、
その経験から耕水機を用いて開墾を行うことを計画し、
多額な資金を調達するために近隣の人々と力を合わせて組合をつくりました。
これは、
明治期からの農村の貧しさを改善したいという彼の望みでもありました。
開墾事業は困難を極めましたが、
組合の人々の尽力により開墾事業は成功しました。

題字:岡田武松(布佐出身の気象学者)
碑文:吉植庄亮(印旛沼開墾者、歌人)

平成二十八年三月
我孫子市教育委員会

開発済世碑 説明板

布施下新田地区 稲荷神社

布施下新田地区 稲荷神社

さて、
布施下新田地区 稲荷神社 41番

概要

布施下新田地区 稲荷神社

創建年代等は、
不詳

布施下新田地区 稲荷神社

ただ安永五年(1776年)、
相馬霊場41番伊予龍光院写しとなっている

布施下新田地区 稲荷神社

なので創建はそれ以前であり、
広大な新田の産土の神として勧請されたと考えられる。

鳥居は平成元年(1989年)のもので、
参道の灯籠とお狐様一対は平成二年(1990年)のものとまだ新しい。

手水舎の万人講と刻まれた手水鉢はそれらに比べて古く、
文化四年(1807年)のもの

石造物

鳥居手前左には、
石造物が固まっている。

布施下新田地区 稲荷神社

手前の左から、
下部埋没の笠付き天明四年(1748年)文字青面金剛塔

布施下新田地区 稲荷神社

その右が、
明和八年(1771年)青面金剛像

布施下新田地区 稲荷神社

青面金剛の頭は、
蛇冠

続いて、
明治十七年(1884年)自然石型文字庚申塔

その横には、
常夜燈の一片が埋まっている。

布施下新田地区 稲荷神社

後列左から、
文化十一年(1814年)文字庚申塔

布施下新田地区 稲荷神社

三猿も、
ちゃんといる。

布施下新田地区 稲荷神社

その横が、
文政十年(1827年)勢至像付二十三夜塔

布施下新田地区 稲荷神社

文久二年(1862年)如意輪観音像が刻まれている石塔は、
為安産也とある。

布施下新田地区 稲荷神社

その横には社寺関係碑が、
3基並ぶ。

布施下新田地区 稲荷神社

社殿裏にも、
鳥居

布施下新田地区 稲荷神社

その先には、
石祠

手前赤い屋根の小祠と、
1番奥の新しそうな石祠は不明。

布施下新田地区 稲荷神社

真ん中の2基のうち、
右は水神宮

布施下新田地区 稲荷神社

これは、
明治四十四年(1911年)のもの。

布施下新田地区 稲荷神社

真ん中は台座と笠は寛政期のもので、
平成元年(1989年)修復の天神宮

布施下新田地区 稲荷神社

他には大正二年(1913年)新四國大師道の道標
安永五年(1776年)新四國八十一番の札所塔

布施下新田地区 稲荷神社

大正六年(1917年)
鯖大師万人講碑

布施下新田地区 稲荷神社

41番

布施下新田地区 稲荷神社

この社殿裏には、
41番の大師堂がある。

大師堂手前には、
御即位記念とある大正五年(1916年)の手水鉢

布施下新田地区 稲荷神社

昭和九年(1934年)
新四國四拾壱番大師堂再建記念碑

布施下新田地区 稲荷神社

そして、
大師堂

布施下新田地区 稲荷神社

第四十一番の札は、
2つ。

他にも、
御詠歌額など。

布施下新田地区 稲荷神社

堂内をちょっと、
覗かせて頂く。

布施下新田地区 稲荷神社

中は、
こんな感じ。

布施下新田地区 稲荷神社

文化四年(1807年)と年紀不明の弘法大師坐像とか、
いろいろ。

布施下新田地区 稲荷神社

というわけで…

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング
今回は我孫子市布佐下新田地区

前回の布佐 浅間神社からだと自転車で3分程のところにある、
41番札所 布佐下新田地区 稲荷神社でした。

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