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N1 中津川督章+工藤俊文 樹人根・水の記憶
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中津川督章+工藤俊文
―中津川督章+工藤俊文: 樹人根・水の記憶 説明パネル
樹人根・水の記憶
木・写真
床の間は、
昔の日本家庭では必ず設けられていたが、
今では茶室を除きほとんど見られなくなった。
季節等の生活のリズムに合わせた床飾りは、
いわば住まいのなかの美術館であった。
旧村川別荘母屋の床の間を借りた床の間飾りの展示。
軸は工藤俊文の写真、
置物は中津川督章の彫刻等での床飾り
生花:吉田玲風
旧村川別荘母屋の床の間に飾られているのが、
工藤俊文の軸と中津川督章さんの彫刻と吉田玲風さんの生花。
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確かに、
昔の家には床の間があった。
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ボクの家には、
残念ながら床の間はない。
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でも近所にある実家には、
ちゃんと床の間がある。
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掛け軸もあるし、
何かしらいつも飾られている。
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その空間は、
まさに住まいのなかの美術館という表現がピッタリだ。
もちろん、
そこに飾るものによってかもしれない。
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ただ、
案外その空間が飾ったものを作品にしてしまう力がある気がする。
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もちろん、
この旧村川別荘母屋の床の間の作品は逆に床の間を美術館にしている。
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それにしても生花が飾られていると、
その場が華やぐのものだな。
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掛け軸は、
写真。
そうだった、
以前もこの2人の組み合わせの展示があった。
2021年の我孫子アートな散歩市、
志賀直哉邸跡。
ところで、
タイトルの『樹人根』は『じゅじんこん』と読むのだろうか?
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造語なのかな?
『樹根』は『じゅこん』だから多分合っている気がするけど。
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このタイトルを見た時、
和辻哲郎さんのこんな文章を思い出した。
成長を欲するものはまず根を確かにおろさなくてはならぬ。
―和辻哲郎: 偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集
上にのびる事をのみ欲するな。
まず下に食い入ることを努めよ。
早年にして成長のとまる人がある。
根をおろそかにしたからである。
四十に近づいて急に美しい花を開き豊かな果実を結ぶ人がある。
下に食い入る事に没頭していたからである。…
…根のためには、
できるならば、
地の質をえらばなくてはならぬ。
果実のためには、
できるならば、
根を培う肥料をえらばなくてはならぬ。…
…教養は培養である。
それが有効であるためには、
まず生活の大地に食い入ろうとする根がなくてはならぬ。
人々はあまりに根の本能を忘れていはしないか。
いかに貴い肥料が加えられても、
それを吸収する力のない所では何の役にも立たない。…
自分の根は、
どうだろう?
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