藤姫伝説其の壱の近く、手賀沼自然ふれあい緑道の脇の道路のバス停中央体育館・文化会館入口のところにはまた違う伝説を教えてくれる場所がある。
手賀沼にもぐった牛の物語
こちらは藤姫伝説とは違って、石碑ではなく、歩道の脇に物語を彫った石が埋め込まれているもの。周りにはそれぞれの場面をタイルで表しているみたいな感じなのだが、これが結構わかりにくい。
物語は随分短いが、随分と悲しい物語だ。
以前BSテレ東の『ふるさと再生 日本の昔ばなし』で放送されたことがあるようだ。
こんな感じだ。
手賀沼にもぐった牛 その1
手賀沼にもぐった牛
昔松ヶ崎の覚王寺に、牛の好きな坊さんがいました。
松ヶ崎の覚王寺は実際に柏市のまさに松ヶ崎に今も存在しているお寺だ。
手賀沼にもぐった牛 その2
坊さんは牛をたいそうかわいがり、よく手賀沼に連れて行っては洗ってやったり遊んだりしていました。
牛はとても幸せに暮らしていました。
お寺からこの場所までだとだいたい2kmくらいの距離だ。確かに手賀沼まで牛を連れてくることができただろう。
洗ってもらったり遊んでもらったりしながら過ごしていた牛くん。きっとこの後は可哀そうなことになるのがこういった物語のパターンだ。
手賀沼にもぐった牛 その3
ところが坊さんが病気で死んでしまい、後にきた牛の嫌いな坊さんに、首に太い藤づるを巻かれ、小屋の柱に縛りつけられてしまい、何もしてもらえませんでした。
やはり想像通りの哀しい展開になってしまう。
手賀沼にもぐった牛 その4
のどが渇き死にそうになった牛はやっとの思いで逃げ出すことができました。
牛は丘をかけ林を抜け、かつて坊さんと遊んだ手賀沼にたどり着きました。
牛は水を飲み、草を食べ元気になりました。
良かった良かった。この後はきっと牛の嫌いな坊さんがひどい目に遭うのではないかな。
手賀沼にもぐった牛 その5
夜になると「モウ―」と一声高くなくと沼の底に姿を消していきました。
違った。なんともまあ唐突だが、牛好きの坊さんの傍に行きたかったんだろう。悲しい展開だ。
手賀沼にもぐった牛 その6
やがて時が過ぎ、月の明るい秋の晩のこと、藤づるで束ねた薪を背負った村人が、沼の水面に藤のつるが首に巻きついた牛を見てびっくりぎょうてん、逃げ出してしまいました。
ということは、あの意地悪な坊さんはバチも当たらずそのままだったのか?
手賀沼にもぐった牛 その7
その目はなぜか悲しそうでした。
それ以来「手賀沼には覚王寺の牛がいる」と、村人たちはたたりを恐れ、手賀沼へ来るときには、決して藤づるを持たなかったということです。
なぜか悲しそうって、悲しいに決まっている。でもどんな事情があったのか?はきっと村人たちは知らなかったのかもしれない。
あれこれと突っ込みながら読んでいると一瞬で物語は終わってしまったが、そのあとにはもう1つの石板がある。
昔、手賀沼の水は澄み切っており、その周りには草が一面に生えとりどりの花を咲かせていました。また、牛は私たちの生活に欠かせない大切な生き物でした、この物語は自然や生き物を大切にするという私たちが忘れかけていることへの戒めではないでしょうか。
教訓ですね。まあ言っていることはわかる。が、しかしである。だったら意地悪な牛嫌いの坊さんにも何かしらの罰が与えられてもよさそうなものなんだけどな…。
というわけで…
道端で読む悲しい牛の物語『手賀沼にもぐった牛』でした。
大ウナギが手賀沼の主なら、この牛は手賀沼の何になるのだろうか。
手賀沼沿いを自転車で走っていると、ところどころに捨てられたごみを目にすることがある。確かにゴミ箱があちこちにあるわけではない。
というよりほぼ何処にもない。だからと言って何故捨てて行ってしまうのか?がわからない。持ち帰れば良いだけのことだが、たったそのそれだけのことですらできない人たちが居るのは悲しいことだ。
そういった輩は、大ウナギやもぐった牛のたたりにでもあえば良いのだ、と思いながらまたサイクリングロードに戻った。
この物語、少しばかり簡略化され過ぎているが、もう少しちゃんとしたものが読める場所があった。柏市のホームページの中だ。この物語以外にも柏のむかしばなしがいろいろと読むことができる。
たまにはこういうものを読むのも悪くない。
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