台田 北星神社

台田 北星神社

我孫子市 台田地区

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市台田地区から。

台田はこんなところ

我孫子市台田は、
だいたではなくてだいだと読む。

元々は我孫子と根戸の一部で、
昭和五十六年(1981年)にできた地区。

台田の西も北も、
すぐ柏市。

ここは、
我孫子市で1番西の地区になる。

台田法花坊公園という、
公園がある。

台田法花坊公園

かつて相馬一族に関係する城館といわれる、
法花坊館の跡地の一部

手賀沼の北の谷津に面した標高18 mの台地上にあって等脚台形の形をしていて、
西を除く三方はすべて谷津に囲まれていた。

現在は宅地化されてしまって、
遺構は全く残っていない。

台田地区 MAP

台田地区は、
地図だとこんな感じ。

ここには、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の札所はない

ただ周辺スポットということで、
北星神社を今回は訪れてみる。

台田 北星神社

台田 北星神社

北星神社は、
国道6号線水戸街道沿いの台田交差点の近くにある。

概要

台田 北星神社

相馬根戸城主が中世に妙見菩薩を勧請して創建
江戸時代には妙見社と称していたという。

台田 北星神社

明治維新後の廃仏毀釈に伴って、
明治九年(1876年)に北星神社と改称している。

台田 北星神社

祭神は、
天御中主命

台田 北星神社 石造物

台田 北星神社

鳥居手前

鳥居手前左手には、
自然石型の文字庚申塔が2基。

嘉永四年(1852年)のものと、
安政四年(1857年)のもの。

台田 北星神社

その隣には小祠があって、
中をのぞくと石祠があるが紀年も内容も不明

台田 北星神社

境内

鳥居をくぐると、
年紀無しの狛犬一対

その先右手には、
手水舎がある。

台田 北星神社


手水鉢は、
文化六年(1809年)のもの。

その先には、
年紀なしの亀趺だがまだ新しそうだ。

そして、
立派な社殿

台田 北星神社

この社殿は、
昭和五十八年(1983年)に改築したものだ。

台田 北星神社

拝殿の扉には、
金色の九曜紋が輝いている。

台田 北星神社

扁額も新しそうな感じで、
北星神社の文字が九曜紋同様に輝いている。

台田 北星神社

社殿は、
拝殿・幣殿・本殿が連続してある。

台田 北星神社

本殿の中には、
天保四年(1833年)の刻銘がある社殿が納められているらしい。

台田 北星神社

社殿左手

社殿の左手には、
明治時代の狛犬に挟まれて境内社が長屋式祠内に祀られている



左から、
香取神社

台田 北星神社

側面には、
明治四十一年(1908年)七月建設とある。

続いて、
八坂神社

台田 北星神社

側面には、
明治三十七年(1904年) 月吉日とある。

次は、
第陸天社

台田 北星神社

側面に嘉永六年(1853年)丑年十二月吉日とある石祠には、
魔王第陸天と刻まれている。

次は、
吾妻大明神

台田 北星神社

側面には、
文政四年(1821年)巳年二月吉日とある。

次は、
天神社

台田 北星神社

側面には、
明治四十一年(1908年)七月建設とある。

次は、
三峯神社の札があるが石祠は稲荷神社とある。

台田 北星神社

側面には、
大正七…(1918年)。

次が、
金比羅神社

台田 北星神社

側面には、
明治丗七年(1907年) 月吉日とある。

次は、
不動明王

台田 北星神社

側面には、
明治廿三年(1890年)十一月十八日とある。

不動明王の脇には、
矜羯羅童子と制多迦童子

清安山とあるのは、
茨城県つくばみらい市にある板橋不動尊(清安山願成寺不動院)なのかな?

次は、
稲荷神社

側面には、
明治四十一年(1908年)七月建設とある。

そして、
待道大権現

台田 北星神社

側面には、
文政五…(1822年)とある。

社殿右手

さて、
境内右側にも石造物がいろいろ。

台田 北星神社

平成三年(1991年)皇室関係碑
平成天皇御大典記念とある。

台田 北星神社

玉垣に囲まれた大正二年(1913年)の御神霊建設記念碑の前には、
亀趺が一対。

台田 北星神社

この亀趺は、
天保十三年(1842年)のもの。

奉祀明治天皇御神霊とある玉垣に囲まれた皇室関係碑は、
大正三年(1914年)のもの。

台田 北星神社

昭和四年(1953年)
台座に氏子中とある阿夫利神社碑

台田 北星神社

大正七年(1918年)
伊勢大々記念碑

台田 北星神社


文化十年(1813年)
山神宮

文化三年(1806年)
馬頭観世音

台田 北星神社

安政六年(1859年)
筑波山両宮供養塔

明治十六年(1883年)
山神社

慶応二年(1866年)
山神宮

安政三年(1856年)
馬頭観世音

安政四年(1857年)
馬頭観世音

嘉永五年(1852年)
十九夜塔

天保十二年(1841年)
文字青面金剛塔

台田 北星神社

天保十二年(1841年)
文字青面金剛塔

台田 北星神社

台座には講中廿九人とあるのが違うが、
1つ前のものと同じ感じだ。。

天保九年(1838年)
剥離が酷くてわからないが前の二基と同じ感じなので文字青面金剛塔だろう。

台田 北星神社

続く二基も、
年紀は違うが同じ感じ。

台田 北星神社

天保六年(1835年)
文字青面金剛塔

どう見ても、
同じ。

続いては、
弘化三年(1851年)の二十三夜塔

そしてまた同じ、
天保九年(1838年)文字青面金剛塔

台田 北星神社

剥離の酷いものが同じ年紀だったので、
これと同じなんだろう。

文化十二年(1815年)
剥離が激しいが判読できるレベルの十九夜塔

文政三年(1820年)
疱瘡神の石祠

再び同じ、
天保十四年(1843年)文字青面金剛塔

天保九年(1838年)
廿三夜塔

再び同じ、
天保十四年(1843年)文字青面金剛塔

台田 北星神社

これだけ年紀が近くて同じ感じの文字青面金剛塔、
これってきっとどこかにあった百庚申の一部かもしれないなあ。

境内その他

本殿裏には、
北星神社御神霊 伊勢太々記念とある大正ハ年(1919年)の石塔があった。

台田 北星神社

社殿横には、
こんなものが。

台田 北星神社

日本ミツバチの保護と捕獲、
飼育を目的に巣箱を設置しております。
保護、
捕獲後は移動いたしますので見守り宜しくお願いいたします。

巣箱説明書

日本ミツバチは西洋ミツバチと異なり、
飼育が難しく採蜜回数や量も少ないらしい。

ハチミツの多くは西洋ミツバチのものらしく、
日本ミツバチのそれは結構貴重らしい。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
周辺スポットということで台田地区。

前回の根戸新田 水神宮からだと、
自転車で7分くらいのところにある。

相馬根戸城主が中世に妙見菩薩を勧請して創建
江戸時代には妙見社と称していたという北星神社

ここは石造物がかなりいろいろあるので、
我孫子の西のはずれではあるが行っておきたいところだ。

88 & 周辺ポタリング MAP

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