布佐地区 竹内神社
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
今回は、
我孫子市布佐地区から周辺スポットということで布佐 竹内神社。
概要
創始は、
承平年中(931~8年)という。
平将門の乱が平定した天慶三年(940年)、
武内大明神を奉斎したと伝わる。
元々は、
前回出てきた近くの愛宕神社の境内社武内社。
神託によって、
今の場所に遷座。
神社名も、
竹内神社と改めた。
祭神は、
天之迦具土之尊。
鳥居周り
布施中学校脇の松並木の間の砂利道を進むと、
平成元年(1989年)の寺社塔。
短い石段を上がると、
両脇には明治十三年(1880年)の狛犬一対。
大塚兼吉作、
近郷近在には珍しい子連れの唐獅子らしい。
その先には、
灯籠一対に文政十年(1827年)の神明型鳥居。
鳥居をくぐると、
右手に手水舎がある。
手水鉢は、
䑓組とある明治十三年(1880年)のもの
その奥には、
竹内神社御遷宮之記念とある明治四十四年(1911年)の社寺関係碑。
左手には、
石坂再建とある文久三年(1863年)の社寺関係碑。
右奥に見える石祠は、
読めず。
こちらは、
文化四年(1805年)の新観音霊場塔。
當所霊場十八番道陸神とあり、
御詠歌が刻まれている。
50段あまりの石段を、
上がっていく。
意外に、
急な石段だ。
社殿
上っていくと、
正面には社殿が見えてくる。
向背の右側部分に、
授与所が後付けされている。
こちらは、
賽銭箱。
こちらは、
扁額。
扁額は、
大正六年(1917年)に奉納されたもの。
本殿は、
こんな感じ。
なかなか、
きれいにされている。
境内手水舎周り
右手には、
また手水舎がある。
寛政八年(1796年)の手水鉢には、
石坂再建立 十五夜講中とある。
手水舎の奥には、
神明神社の祠。
手前にあるのは、
新観音札所塔かな?
文化二年(1805年)のもので、
當所三十二所霊場〇〇番中とある。
手水舎左手には、
三峯神社 遷宮由来とある昭和三十七年(1962年)の寺社関係碑。
その横に、
不明の石祠。
お隣は、
昭和三十年(1955年)三峯神社 布佐開運講 二十五回登山記念とある。
そのお隣は、
不明の石祠。
更に隣には、
文化二年(1805年)文字庚申塔。
塔の字は、
偏と旁が左右ではなくて上下になっていて面白い。
境内社殿周り
社殿右に、
いろいろ集められている。
正徳元年(1711年)、
奉造立白山大権現石宮とある石祠。
左から文化二年(1805年)の新観音札所塔、
當所霊場十九番谷山権現宮とある。
手前も文化二年(1805年)の新観音札所塔で、
上部が欠けてはいるけど十三番大六天宮とある。
その右も文化二年(1805年)の新観音札所塔で、
當所霊場十二番白山権現とある。
いろいろたくさんありすぎて、
どの写真がなんであったか?わからなくなるほどだ。
奥に見えるのは(下の写真だと1番左)、
延宝六年(1678年)のもので奉供養時…石坂建立とある。
側面には庚申百十人、
逆側には十三夜六十七人とある。
他にも不明の石祠や、
舩持中と基礎石にある文化元年(1804年)の水天宮(下の写真の右)。
火袋欠の文化三年(1806年)の御神燈や、
奥に万人講とある文化二年(1805年)の万人講塔などなど。
御嶽神社
更に神明神社の右に行くと鳥居があって、
右脇には昭和五十五年(1980年)の御嶽神社修復記念碑。
御嶽山 少名彦命 大己貴命、
とある年紀不明の石碑。
大正五年(1916年)、
奉納御嶽神社再建記念碑。
鳥居に先は、
当然ながら御嶽神社の社殿。
注連縄の先には、
御嶽神社の扁額。
六根清浄の立て札が、
社殿前に。
六根は五感と第六感とも言える意識の根幹のことで、
眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)・意根(意識)。
社殿手前右には、
手水舎。
社殿右脇奥にも、
あれこれと霊神碑が並んでいる。
社殿左方面
今度は、
左方面。
石段を上がった左手すぐのところに、
松岡3兄弟などが桜木500本を寄贈した明治38年(1905年)日露戦争記念碑(英文)。
天神宮
社殿左にあるのが、
天神宮。
祠右手前には、
またもや文化二年(1805年)の新観音札所塔。
こちらは、
當所霊場十一番天神宮とある。
祠左手前には、
明和二年(1765年)天神宮石祠。
天神宮の先にも、
石造物。
祠の右に見えるのが、
養蠺神記念とある石祠。
右の石祠は、
不明。
反対側は、
こんな感じ。
両脇稲荷大明神に、
右から2番目は稲荷社。
正徳元年(1711年)、
奉造立大六天石宮一社とある大六天石祠。
稲荷神社
天神宮の左には、
稲荷神社。
向かいには、
慶応三年(1867年)の鳥居。
その手前が、
参道という感じなのかな?
手水舎のある手水鉢は万延元年(1860年)のもので、
都 馬頭観音堂 58番にあったものと同じように魚がしとある。
ただこちらは東京ではなく、
日本橋とある。
この辺りも、
とにかくあれこれある。
手水舎奥は、
こんな感じ。
安政四年(1857年)、
狐一対。
やっと庚申塔で、
安永八年(1779年)文字青面金剛塔。
享保七年(1722年)、
青面金剛像。
安永二年(1773年)、
文字青面金剛塔。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市布佐地区から。
周辺スポットということで、
布佐 竹内神社。
とにかく石造物は多いが、
庚申塔は少ない。
でも、
なかなか見応えのあって思ったよりも時間が経ってしまう神社だった。
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