東我孫子地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市東我孫子地区から。
東我孫子地区はこんなところ
東我孫子地区は、
JR成田線東我孫子駅から南の方にある。
駅自体は東我孫子なんだけど、
下ケ戸地区に属する。
ここはお隣の湖北駅管理の無人駅で、
乗車駅証明書発行機や簡易Suica改札機の設置駅となっている。
駅名識は、
ゴルフをモチーフとしたものになっている。
片側は、
ゴルフクラブとゴルフボール。
もう片側は、
グリーンとゴルフボールになっている。
そして、
どちらも我の字の点がゴルフボールになっているのがなかなか良い。
東我孫子地区MAP
それで東我孫子地区は、
地図だとこんな感じ。
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
東我孫子地区にある周辺スポットということで一里塚。
新四国相馬霊場八十八ヶ所28番札所、
高野山 最勝寺からなら自転車で6分くらいのところにある。
東我孫子 一里塚跡
一里塚
一里塚は、
平安時代末期に奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。
全国的に整備されるようになったのは、
江戸時代。
慶長九年(1604年)に徳川家康が秀忠に命じ、
金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりらしい。
江戸日本橋を起点として街道に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚で、
多くは塚の上に榎や松を植えて旅人の目印にした。
一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置されるものだが、
現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在していることが多い。
東我孫子の一里塚跡
この東我孫子の一里塚も、
片側のみが残っている。
ここは、
旧成田街道の1番目の塚。
我孫子市内には、
中峠と布佐にもあるがここが1番きちんと残っている。
千葉県昭和九年(1934年)の石碑が、
塚の前にある。
裏には、
説明がある。
一里塚遺跡
一里ハ慶長九年徳川家康ノ築設ニ係ルモノニシテ
江戸日本橋ヲ起点トシ全国ノ主要ナル道路ノ両側ニ
一里毎ニ塚ヲ築キテ榎樹ヲ以テ里程ヲ明ラカナラシムルト共ニ
行路往還ノ旅情ヲ慰メタルモノナリ昭和九年千葉県
千葉県一里塚跡碑
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
周辺スポットということで我孫子市東我孫子地区一里塚。
新四国相馬霊場八十八ヶ所28番札所、
高野山 最勝寺からなら自転車で6分くらいのところにある。
ここには一里塚と、
それを示す千葉県の塚跡碑しかない。
でも、
何となく昔の面影が少し残されている感じの空間になっている。
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