寿 水戸・成田街道追分の道標

寿地区水戸道・成田道追分

寿 水戸・成田街道追分

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市寿地区から周辺スポット

寿地区水戸道・成田道追分

成田街道

成田街道は、
江戸時代より以前は水戸道と呼ばれていたらしい。

その頃は東我孫子~湖北~布佐~利根川を渡って布川と進み
水戸へと向かう道だったそうだ。

江戸時代になり陸路・水路の整備が進むと、
この追分から北上する新たな水戸道が生まれることになる。

柴崎神社付近を通って
青山の渡しを使って対岸へと渡り取手宿へと進む道だ。

我孫子宿 水戸道・成田道追分 説明板

そんな国道365号線の水戸・成田街道追分には、
信号と信号の間に三角地帯があり再整備された道標が並べられている。

以前は結構放置された感じだったけれど、
今では随分ときれいになっている。

再整備されたのは、
令和四年(2022年)のことだから本当に直近なんだね。

説明板は三角地帯ではなく、
信号のところに設置されている。

寿地区水戸道・成田道追分案内板

我孫子宿 水戸道・成田道追分

江戸時代より前、
現在、
成田街道と呼ばれている道を「水戸道」と呼んでいました。
当時の「水戸道」は、
東我孫子、
湖北、
布佐、
利根川を渡って布川へと進み、
水戸へと向かう道でした。
江戸時代になると幕府は、
交通が各地方への幕府支配力を高める重要なものと考え、
江戸を中心とした陸上・水上交通網の整備に力を入れました。
江戸と水戸とを結ぶ水戸道は、
水戸徳川家や常陸周辺の大名が江戸との往来に利用し、
東海道などの「五街道」に次いで重要な「脇往還わきおうかん」として発達しました。
その後、
天和二(一六八二)年ごろになると、
陸路・水路の整備が進み、
大きく迂回した水戸への道は変更となり、
この追分から北上する新たな「水戸道」が生まれました。
そして、
かつて「水戸道」と呼ばれていた道は、
「成田道」と呼ばれるようになり、
結果として成田道の起点となりました。
新しくできた「水戸道」は北へと向かい、
柴崎神社付近をとおり、
青山の渡しを使って対岸へと渡り、
取手宿へと進みます。
追分は我孫子宿の出入口として、
地元の人々によって保存され、
令和三(二〇二一)年には地元の声が集まり、
再整備されました。
この整備によって、
現存するなかで最古の元禄四(一六九一)年の道標を再調査したところ、
「水戸海道かいどう」「布川海道」と書いてあり、
道の変更から約九年後の時点では「成田道」は、
「布川海道」と呼ばれていたことがわかりました。
また、
道標には我孫子宿の人々と思われる寄進者の名前が並んでおり、
古くからこの地が人々にとって大切な場所であったことがわかります。

令和四(二〇二二)年 五月
我孫子市教育委員会

我孫子宿 水戸道・成田道追分説明板

小熊家の建物

ちなみに、
ここからすぐのところに我孫子宿の脇本陣だった小熊家の建物がある。

寿地区小熊家

脇本陣は、
江戸時代の宿場に設置された本陣の補佐的設備。

寿地区小熊家

本陣に宿泊した大名や公家などの世話をする家来や役人が、
休憩・宿泊した場所。

この建物は、
天保二年(1831年)のもの茅葺屋根が素晴らしい

我孫子宿本陣跡案内塔

この小熊家の建物の近くには、
本陣跡があるがまさに跡であって全く面影も何もない。

あるのは、
本陣跡でしたよという案内塔だけ。

我孫子宿本陣跡

ただ旧村川別荘の母屋は、
大正十年(1921年)に我孫子宿本陣の離れを解体・移築したものだから面影を見ることはできる。

水戸・成田街道追分の道標

寿地区水戸道・成田道追分

以前は倒れていたり傾いていたりしていたものが、
今では整然と並べられている。

寿地区水戸道・成田道追分

1番手前にあるのは、
元禄四年(1691年)の板碑型三猿庚申塔

寿地区水戸道・成田道追分

正面三猿の上に刻まれているのは、
以下の通り。

これより右布川海道
元禄四辛未年二月吉日
庚申供養為結衆二世安全祈之
庚申立像
従是左 水戸 海道

その奥にある文字青面金剛塔は、
安永五年(1776年)のもの

寿地区水戸道・成田道追分

側面には、
右てうしみち/左水戸みちとあってこれも道標になっている。

その右奥は、
右成田道と刻まれた文化十三年(1916年)の道標

寿地区水戸道・成田道追分

その後ろ2基は、
剥離が酷く何だかわからない。

その横は、
上半分がないもので〇〇道が併記されている。

辛巳とあるので、
元禄十四年(1701年)か宝暦十一年(1761年)か文政四(1821年)のどれかだろう。

寿地区水戸道・成田道追分

1番奥左は、
文久三年(1863年)の成田山と刻まれた道標

それにしても、
随分ときれいになったものだ。

こういうのを見ると、
本当に嬉しくなる。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
我孫子市寿地区から。

周辺スポットということで、
水戸・成田街道追分の道標

以前は倒れていたり傾いていたりで放置されていた感じだったけれど、
見事に整備されてキレイになっていたのは本当に良かったと思う。

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