福満寺から車ノ前五輪塔へ
日秀将門神社に始まった、
我孫子と柏の将門スポット ポタリング5回目。
今回は福満寺の鏡の井戸の車ノ前ゆかりの、
車ノ前五輪塔。
❓五輪塔❓
主に供養塔・墓として使われる塔の一種。
下から四角(六面体)、
丸(球)、
三角(四角錐または三角錐)、
半丸(半球)、
上の尖った丸(宝珠型)または尖っていない団子型(団形)、
これらを積み上げた形に作られる。
自転車で目的地に行くには、
だいたいGoogleMapで経路検索して目指すのだが今回はあまり充てにならなかった。
これだと、
最後のグレーの点々のところが不明確でどなたかのお宅の中を通らなくてはいけない感じ。
では、
福満寺から車ノ前五輪塔にすんなり行くのんだったらどう行けば良いのか?
というと、
多分これが1番わかり易いはず。
AからBまで行って、
Bから畑の中の細い道(ルートのラインが付けられなかったが)を真っすぐ進めばそれはある。
車ノ前五輪塔
この車ノ前五輪塔は、
福萬寺の南側の境外地(けいだいち)の100m四方の森にある。
通称妙見さまと呼ばれる妙見堂跡地で、
畑の中に椎の林がこんもりと茂る木陰にひっそりと建っている。
近くにある木が倒れてこないようにか、
補強がされている。
160cmほどの塔で、
笠石が幾分欠けている。
柏市指定文化財(建築物)昭和50年12月4日指定
🔶車ノ前五輪塔
この五輪塔は、
台上の高さ152.4cmで、
石材は安山岩(西湖~伊豆半島系安山岩製)で造られています。
火輪軒部及び空風輪頂部に一部欠損があるものの良好な状態を残し、
県内でも有数の大きさを誇る五輪塔とされています。
五輪は、
仏教の宇宙観を空・風・火・水・地の五つの要素であらわしたもので、
古く中国から伝えられ、
日本の平安時代末期に五輪塔という形で具現化し、
その後鎌倉時代に供養塔・墓塔等として完成したと言われています。
この五輪塔には、
四方に空・風・火・水・地をキャ・カ・ラ・バ・アの梵字で彫られており、
当時この地域を治めた武人の墓として、
室町時代初期(14世紀中葉~15世紀前半)に建てられたと考えられています。
伝承があり、
この地には平将門の側室、
車ノ前が遺児とともに隠れ棲み、
将門の信仰していた妙見菩薩を祀るお堂を建てその菩提を弔ったと伝えられており、
将門の命日とされる例年2月21日には地元の人々によって妙見講が行われています。参考文献:「市内の中世石造物」「かしわの歴史—柏市研究第2号—」、
実物図は第1図を転載平成28年3月31日 柏市教育委員会
車の前五輪塔 案内板
というわけで、
この五輪塔は当時この地域を治めた武人の墓(相馬氏か)として建てられたと考えられているようだ。
つまり車の前五輪塔となっているが、
この五輪塔自体は車ノ前とは直接関係はないということだね。
ただ伝承ではここには将門公の第三夫人車ノ前が遺児とともに隠れ棲んで、
将門公が信仰していた妙見菩薩を祀るお堂を建てその菩提を弔ったという。
それがこの妙見さまと呼ばれた妙見堂跡地で、
かつて妙見堂があったところには現在は祠だけがある。
他には、
弘化四年(1847年)の手水の水盤。
あとは、
安政六年(1859年)の御神燈。
更に、
明治7年(1874年)の妙見大菩薩塔がある。
それにしても、
知らない人からすればまさかこんなところにこんなものが存在しているなんて想像もつかないだろう。
ちなみに、
車ノ前が隠れ棲んだ際の遺児はその後どうなったのだろう?
なんでも若松と名付けられたその子は、
良忠と名乗り西国で勇者となったという(千葉県東葛飾郡誌)ということらしい。
というわけで…
日秀将門神社に始まった、
我孫子と柏の将門スポット ポタリング5回目にして取り敢えずの最後。
今回は、
車ノ前五輪塔に行ってみた。
大木椎木の下にひっそりとあるこの場所、
こういうものが今までちゃんと残っているのはある意味スゴイことだ。
まあスゴイと思うか、
だから何なの?と思うかは人それぞれだろうけど。
ただ、
だから何なの?でなくなってしまったものも沢山あるわけで。
そうならないように、
やはりこういうものはきちんとこの先も残っていてほしいものである。
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