柏市の平将門スポット ポタリング 福満寺

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福満寺

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ここまで、
日秀将門神社~龍光院と将門神社~平将門王城の地と巡ってきたが、

今回は天台宗 教永山 積善院 福満寺

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ここも龍光院同様に、
自転車で東葛印旛大師巡りをしていた時に訪れたことがある。

旧薬師堂の古棟札の写しには、
承和十一(八四四)年甲子十一月八日下総国相馬郡南相馬ノ庄大井郷別当福満寺と記載がある古刹。

大井の晩鐘

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見どころが結構あるが、
その1つが大井の晩鐘

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享保十四年(1729年)創建の鐘楼門で、
手賀沼八景の1つに数えられている。

火災の歴史の中で、
かろうじて残っている江戸期のもの。

それ以前のものは、
燃えて灰と化しもうどこにもない。

手賀沼八景

手賀沼八景案内板

ちなみに手賀沼八景は、
大正時代の千葉県東葛郡誌で載せられたもの。

手賀沼八景(手賀沼北方より)

①富士白雪
②筑波晴嵐
③白山秋月
④鵞湖帰帆
⑤大井晩鐘
⑥城山春色
⑦谷田落雁
⑧五条谷赤壁

これは手賀沼の北方より選んだものらしく、
南から眺めた八景もあったようだ。

手賀沼八景(手賀沼南方より)

①布瀬落雁
②浦辺青巒
③正泉晩鐘
④布佐夕照
⑤瀧前夜雨
⑥戸張帰帆
⑦子ノ神秋月
⑧五条谷暮雪

十九夜如意輪観音塔

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門前左には、
十九夜如意輪観音塔

元文三年(1738年)十九夜念佛二世安楽・同行120人
寛文十三年(1673年)十九夜念佛逆修善根也塔

右側にも
以前の写真だが2体。

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宝暦十三年(1763年)十九夜念佛塔同行75人
貞享二年(1685年)十九夜念仏衆逆修為・同行34人

十九夜如意輪観音塔

女性が寺や当番の家に集まって、
如意輪観音の前で経や和讃を唱え、
飲食する講を十九夜講という。

その講が建立する石塔が十九夜塔で、
主に如意輪観音像か十九夜の文字が刻まれている。

旧観音堂(現本堂)

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旧観音堂(現本堂)は火災の歴史の中で、
大井の晩鐘と共に残っている江戸期のもの。

住職一代に一回のみ開扉が許されている現秘仏聖観世音菩薩は、
聖徳太子作と伝えられる。

これは、
平将門公の重臣坂巻若狭守の守本尊だったそうだ。

坂巻若狭守と言えば、
鼻喰田

手賀沼自然ふれあい緑道
自転車道と歩行者・ランナー優先の道が分かれたところにある東屋の脇に鼻喰い田の碑がある。

坂巻家は、
大井の七人衆・影武者伝説七家のうちの1つと言われている。

七家とは、
坂巻・石原・石戸・吉野・富瀬・久寺家・座間

准四国八十八ヶ所

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圧巻なのは、
准四国八十八箇所霊場の小堂の数々が並んでいる風景。

この迫力は、写真だとなかなか伝わらないかもしれないが、
実際に見るとちょっとビックリするし圧倒される。

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明治11年篤信の人が四國八十八箇所を巡礼の砌り
砂を頂き福満寺に准四国霊場が出来ました。

福満寺 准四国八十八ヶ所 案内板

ということらしく、
それぞれのお堂の下には四国霊場の砂が納められているようだ。

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八十八箇所がこの地だけで簡単に巡れるというのは、
ある意味有難味があまりないかもしれないけれどこれはこれで良いのかもしれない。

将門大明神

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そんな福満寺にある平将門スポットの1つが、
本堂脇にある将門大明神

これだけ?
という感じだけれどこれもそれはそれで。

車ノ前 鏡の井戸

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本殿裏手に階段があって、
蜘蛛の巣を掻き分けそこを上り下っていくとそれはある。

車ノ前が、
顔を写したという鏡の井戸だ。

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車ノ前は、
将門公の愛妾(第三夫人)。

今でも、
この井戸は水をたたえている。

どんなお顔だったんだろうね、
全然想像できないけれど。

というわけで…

今回は、
将門公ゆかりの地?と言っても良い福満寺でした。

王城の地から、
自転車ですぐのところにある。

こういう時、
自転車の機動力が発揮されるのだ。

車だと、
駐車の問題とかあるから自転車で巡る方が気が楽だ。

さて、
車ノ前といえばもう1つ行くべきところがある。

それは、
また次回にでも。

福満寺 MAP

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