手賀沼サイクリング西半周コース 前編

さて手賀沼サイクリング西半周コースの紹介。

手賀大橋を渡り下をくぐってGo!

▲ 手賀大橋の下をくぐって西半周へ

スタートは東半周コースと同じ手賀沼親水広場からだ。橋を渡って再び手賀沼自然ふれあい緑道へ。

▲ 手賀大橋真下

手賀大橋の下をくぐってだ出発だ。

道の駅しょうなん

▲ 道の駅しょうなん

左手には千葉県内千葉県内8番目にできた『道の駅しょうなん』がある。

農産物直売所やレストランViaggio(ヴィアッヂオ)やインフォメーションホールがあるので、ここで食事をしたり、手賀沼周辺の情報を手に入れると良いだろう。

インフォメーションホールでは、思っている以上にさまざまな情報に溢れていて、それらを見ているだけでも結構楽しい。

▲ 新・道の駅しょうなんイメージ

現在敷地内で工事が進んでいる。これは道の駅の拡張工事。

令和3年12月オープン予定でまだ先。完成イメージのイラストがあったが、何だかステキな感じになりそうだ。

農産物直売所:4-8月9:00~19:00/9-3月9:00~18:00 定休日:毎月第2水曜日

レストランViaggio(ヴィアッヂオ):4-8月9:00~19:00/9-3月9:00~18:00 年中無休

農家直営 野菜レストランSHONAN

▲ 野菜レストランSHONAN

食事と言えば、お隣には『農家直営 野菜レストランSHONAN』もある。

地元野菜を存分に味わえるところだ。料理を注文すると、サラダバー、スープ、みそ汁、デザートが食べ放題。これだけだと880円。

平日11:00~16:00(L.O.3時半)土日祝日 11:00~18:00(L.O.5時)

土日祝日のモーニングはしばらくの間お休み

スワンボート

▲ スワンボートと手賀大橋

右手の手賀沼の水面にはスワンボートが浮かんでいる。

Googleだとこの貸しボート屋さん『広瀬ボートセンター』は閉業になっているが、先日人が建物(と言ってもトレーラーハウスだけど)の中に居たんだけどな。営業はしていないのかな。

▲ レンタかしざお

貸し竿もやっているみたいだが、看板の『レンタかしざお』って『レンタ』と『かし』が被っているやないか~い!なかなかステキなボケでちょっと笑える。

『風早唱歌』歌碑

▲ 風早唱歌

道端には『風早唱歌』歌碑がある。

ここからの道端には、いくつかこういった石碑が点在している。1つ1つ見ていくのも楽しい。

それで風早唱歌は、関忠太郎という方が風早尋常小学校で教鞭をとっていた1912(大正元)年に風早地区の地名や歴史、伝承を織り込んで作詞したもののようだ。

風早唱歌

作詞 関忠太郎

一、大利根ゆるく船乗せて 東に続く 手賀の沼 波静かにて芦の間を つくし置くなり漁り夫か

二、此の所風早は丑寅の沼に望める箕輪にて 故意寺は東手賀村に鐘の響きを伝うらん

  (学びの庭もありしとか)

三、鎮守香取神社をば(里を守りのかんとりを)拝み行けば古戦地(敵軍)の城山あたりの

  我孫子見て(ふせきしあとの城山に)五条谷戸数二十一(次の五条谷二十二)

四、大井は天慶三年に将門よりしその時は近江の大津になぞられて花の如くに栄して

五、船戸の風の福満寺 追花のほらを吹きぬけて 中の橋には刈込の 堤伝得て千代田村

六、すっくと立ちてる杉の木に 青葉若葉の繁る頃 石段ふみてふり返る 前は土村藤心

六、みきわの柳をふきて 遊ぶメダカの小流を たどけて行けば村社なる 神明社頭は早暮れて

七、桜が丘や紅葉しぬ御神楽殿に巫女舞いて天の岩戸を開くとき

  十七か村なひくなり(六番を七番として うたうひともある)

八、宮後原は開かれて今はこの地に農業を励むものあり一面菜畑麦畑わかや(ささめ)にて

九、苫の産地の(此の地の北は)大島田東向けば(先は紫)藤ヶ谷の他の面を越して

  印旛なる (田の面飾るかけきよく) 白井の村も見ゆるなり (守は天満天神宮)

十、炭焼く煙棚引ける(引きて)藤が谷過くれはさらさらと流れる川の高柳

  廻る水車も絶え間なく

十一、卵塔濡るる五月雨に 鬼神の叫ぶ音聞かず 寺は善龍寺福寿院 粟野佐津間はこの南

十二、戻りて(北の)塚崎寿量院 今(元)の高等小学はこの本堂に起りしと

   寺や校舎の基とならん (今は松風吹く風はかり)

十三、 人口三千五百人 戸数五百の我村の 隆盛ははかるものが誰 神明山下に我等あり

『風早唱歌』歌碑

『伝奇日女若ものがたり』碑

▲ 伝奇日女若ものがたり

少し先には、同じく沼側に『伝奇日女若(ひめわか)ものがたり』碑がある。

伝奇日女若(ひめわか)ものがたり

市川新之丞は手賀沼の渡船に揺られていた。

目的は王君千葉介の手紙を箕輪城に届ける事。

しかし彼の心には別の想いがあった。

箕輪城の城主は日女若といい、知らぬ者のない美しい女武者で、戦場で一目見て以来、その美しさに心を奪われていたのだった。

千葉介と箕輪城の和平は成らず、千葉方の兵二千騎は、手賀沼を前に、白幡、発作の間に陣を張った。

日女若夫人は長刀を水車の如くに奮闘したが、敵の大軍前にじりじりと押されていった。

敵兵に囲まれ日女若の命運ももはやこれまでと思われたその時、若武者の一団が千葉方に向かって突撃を開始。

混乱した敵は大将を討たれ、総崩れとなって退却をした。

戦勝に沸く箕輪城のなかで、深手を負った若武者(新之丞)は日女若に抱かれながら、息絶えたのである。

『伝奇日女若ものがたり』碑

箕輪城跡はこの碑の上にもあるように、今では病院になってしまっているけど、土塁とかそういうものはのこっているのだろうか?城マニアではないので確かめたことはないが、病院になっている時点で残念な感じではある。

『黄金の亀』の碑

▲ 黄金の亀

今度は道の左側に亀が乗っかった石碑が見えてくる。『黄金の亀』の碑だ。

昭和三年三月七日、東京毎夕新聞によると、同年三月五日午後三時頃風早村井の森さんの庭先で、全身黄金色の直径8寸の子亀を子供が発見。

これを獲得しました。

昔から手賀沼の深い所には浦方の亀と称する「黄金の亀」が棲息してると言い伝えられていたそうです。

『黄金の亀』の碑

全身黄金色って…黒色のメラニン色素が欠け黄色になったとかそういう感じなんだろうけど、まあそんなことを言ってしまったら元もこうもない。

新聞にも載ったらしいが、その後その亀がどうなったのか?はわからない。

『鼻喰い田』の碑

▲ 鼻喰い田

自転車道と歩行者・ランナー優先の道が分かれたところにある東屋の脇にあるのが『鼻喰い田』の碑。

昔、大井に追華城という小さな城がありました。

ある時大津川を挟んだ対岸の戸張城と戦になりました。

時の追華城城主は坂巻若狭守、対する戸張方の大将は戸張弾正。

大井勢が劣勢となり、弾正が追筆の城山まで登ってきました。

そして、両将の一騎打ちとなり、組合いながら下の田んぼに落ちていきました。

田んぼの泥の中で苦しさのあまり、相手の鼻に喰いついたことから、この田んぼを「鼻喰い田」と呼ぶようになったそうです。

今日では、鼻喰い田の付近には住宅が建ち並んでいます。

『鼻喰い田』の碑

話自体はたいして面白くないのだが、この碑の裏側にまわってみると鼻の形になっているのはちょっと面白い。

▲ 鼻喰い田

ここに出てくる大津川は、この碑のすぐそばにあって手賀沼に流れ込んでいる川だ。かつてはこの川からの汚濁が手賀沼汚染の4割を占めていたらしい。

また、大井追華城も戸張城も実際にあった城で、それぞれの跡は地図にも出ているけど多分実際には殆ど何も残っていなんだろう。

この2つの城跡は確かに大津川を挟んで存在しているけど、合戦があったとか城主の名前とかはあくまで伝承レベルらしい。

ヒドリ橋

▲ ヒドリ橋

左に駐車場が、その先には橋が見えてくる。

▲ヒドリ橋の橋の欄干にある鳥の図柄

手賀沼に流れこんでいる川の1つ、大津川に架かるヒドリ橋だ。欄干にある鳥はヒドリガモのようだ。

▲ ヒドリ橋からの眺め

橋の絵から見るといつも多くの釣り人が糸を垂らしているのが見える。

手賀沼の主

▲ 手賀沼の主(北)

橋を渡ると右手に東屋が見えてくる。

▲ 手賀沼の主(東)

地面を見ると石畳。よく見れば大きなウナギだ。

▲ 手賀沼の主(クロスしている)

二匹が十字に重なっていて、それぞれの頭のところには『北』と『東』と方角が示されている。

▲ 手賀沼の主(尾)

石碑がある。

▲ 手賀沼の主(石碑)

手賀沼の主

むかし藤姫という美しい姫がだまし討ちにあい、その怨念から大蛇が生まれ沼に近づく人をおそっていました。

ある日、旅の山伏が祈祷を行って大蛇ののろいを鎮め、祈祷に使った柱を沼に投げ込むと、柱は水しぶきを上げて大きなウナギに変わりました。

その後、藤姫の怨念は一切現れず、この大ウナギは沼の主として語り継がれてきました。

手賀沼の主

これは『藤姫伝説』を要約したものだ。この近くにその藤姫伝説の石碑がある。全部で6つあって、手賀大橋からだと逆に結末の6~になってしまう。

順番に読んで行くのなら北柏橋からスタートしないとならない。この藤姫伝説は別の機会に。

集音ベンチ

▲ 集音ベンチ(沼側)1

さて、更に進むと道の沼側に椅子が見えてくる。

▲ 集音ベンチ(沼側)2

逆側には展望台でこちらにも椅子がある。回転するので好きな方向に向けて座る。

▲ 集音ベンチ(展望台)1

確か集音ベンチと呼ぶのだったかな?確かに頭のところが集音しそうな形にはなっているけど。

▲ 集音ベンチ(展望台)2

まあ集音は置いておいて、ここに座ってボーっとしていると、その椅子のおかげなのかどうかはわからないけれど、風や鳥の音が耳に届き気持ちが良い。

誰も座っていなければ取り敢えず座ってみることをお勧めする。

道端パネル

道端にいくつかのパネルがある。『中秋丸』のパネル同様、自転車だと見過ごす可能性がある。面白い内容なので是非読んでいきたい。

手賀沼の自然と漁業

▲ 手賀沼の自然と漁業パネル

まだ汚れてしまう前の手賀沼で行われていたカモ猟『張切網猟』や『流しもち網猟』、漁業『ウナギ鎌』、『船曳網』、『藻苅船』、『タマッケ採り』などが写真と共に紹介されている。

手賀沼の魚

▲ 手賀沼の魚パネル

コイやゲンゴロウブナやモツゴといった今も見られる魚と、オオウナギやゼニタナゴやヒガイといった今では見られなくなった魚がイラストと共に紹介されている、

柏町営水泳場跡

▲ 柏町営水泳場跡パネル

昭和27~29年の三年間に夏休みだけ開かれていた水泳場跡の話。プールのない頃の自然のプールだったが、水質検査で水泳には不適とされて幕を閉じたみたいだ。

当時水遊びを楽しむ人たちの写真があるが、今では考えられない話だ。

手賀沼の野鳥

▲ 手賀沼の野鳥パネル

手賀沼で見られる野鳥がイラスト共に紹介されている。

昔は本州随一の水鳥の越冬地だったらしく50万羽以上の水鳥がいたそうだ。

それが昭和初期には10万羽、昭和30年代には数万羽とどんどん減ってしまったということだ。それでも今でもさまざまな野鳥が見られる。

手賀沼の開拓

▲手賀沼の干拓パネル

手賀沼の300年にわたる干拓工事の歴史が書かれている。随分傷んでしまっているので、ところどころ読めないところがある。

北千葉導水ビジターセンター

▲ 北千葉導水ビジターセンター

北千葉導水路は利根川下流部と江戸川を結んだ約28.5Kmの人工水路。

大雨による浸水被害の低減、手賀沼の水質悪化の緩和、東京・埼玉・千葉の飲み水となる水源の供給を目的につくられた。

ここはこの導水路のことがビデオやパネルでいろいろと学べる施設。

まあ面白いといえば面白いし、そうでもないといえばそうでもないが、ここのおかげで手賀沼が少しは綺麗になったらしいので、そこはやはり敬意を表して訪問しておきたい。

ただ残念ながら2階だけしか今のところ見学できない。

12:00~16:00 休館日:月曜日(祝日除く) 月曜日が祝日のときは翌火曜日・年末年始

導水管

▲ 導水管

ビジターセンターを後にして先へ進むと、じつはこの北千葉導水路にまつわるものが道と道の間に見えてくる。

最初は何かわからなかったけれど、説明パネルでそれが地下を通っている導水管の一部だと知った。直径は3.2メートルで、このパネルの3メートル下にはこの導水管が通っているのだ。

ビジターセンターでその目的や働きを知ってから見るとまた違った感じ方をするかもしれない。

そばにはもう一つ、導水管を輪切りにしたオブジェのようなものも先にある。

2つの公園

▲ 柏ふるさと公園

ここは左右に公園があって、左側が『柏ふるさと公園』。

▲ 北柏ふるさと公園

右側は大堀川をはさんで『北柏ふるさと公園』。

この辺りは手賀沼から大堀川になっているのだ。2つの公園は柏ふるさと大橋で結ばれている。

竹やぶ
▲ 竹やぶ

柏ふるさと公園の駐車場のある入口の方には、有名なお蕎麦屋さん『竹やぶ 柏本店』がある。

11:45 ~ 20:00(19:30 ラストオーダー) 月曜日は15時迄

定休日:火曜日 15時以降はコース料理のみ予約可能

下には自家焙煎珈琲店ストリーム・ヴァレー。

11:30~18:00 (ラストオーダー17:30) 定休日:木曜日

美味しいお蕎麦を食べておいしいコーヒーを飲むのも良い。

柏ふるさと大橋をくぐるり緑道ゴールへ

▲ 柏ふるさと大橋をくぐる

柏ふるさと大橋を抜ける。橋の下を覗くと大概は魚が沢山泳いでいるのが見える。

▲ 手賀沼自然ふれあい緑道北柏入口

大堀川を沿いを走るとやがて手賀沼自然ふれあい緑道のゴールに到着。

▲ 広場のベンチ

道を渡ったところにある広場のベンチで電車遠眺めながらしばしひと休みすると気持ち良い。

MAP

というわけで、手賀大橋から手賀沼自然ふれあい緑道を北柏橋までは楽しもうと思えば様々な楽しみがある。つまらないとか地味とか思えばそうなるものだ。せっかくなら楽しみたい。

では、最後にアレコレ紹介したポイントを載せた地図を。

手賀沼サイクリング西半周コース前編MAP - Google マイマップ
手賀沼サイクリング西半周コース前編MAP

後半へ続く。

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