中峠 伊勢山天照神社

中峠 伊勢山天照神社

中峠地区 天照神社

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市中峠地区から。

前回の中里 庚申堂からは、
自転車で1分ほどのところにあるのが伊勢山天照神社

概要

中峠 伊勢山天照神社

この天照神社、
創建年代は不詳

ただ第12代景行天皇の時代に日本武尊の東征の途次
この地に天照皇大神の神雛を立て武運を祈願したという伝説がある。

更に、
景行天皇東国巡行の際に葛飾野に狩猟せられた跡と伝えられるという。

江戸時代には、
相馬七郷(岡発戸村・都部村・中峠村・中里村・古戸村・日秀村・新木村)の総鎮守だったらしい。

境内に由緒書きがあるので、
読んでみよう。

中峠 伊勢山天照神社

伊勢山天照神社由来

我孫子市中峠の西端に鎮座する「天照神社」の祭神は《大日霊売命》である。
草創は古い。
社掌千濱宗輔の識書になる大正五年九月の「社殿改築記念碑文」や「湖北村誌」によると、
遠く景行天皇の御代との伝承である。
そして、
昔から下総の国中相馬七郷「岡発戸村、都部村、中峠村、中里村、古戸村、日秀村、新木村」の総鎮守として崇敬されている。
旧暦九月一日が祭礼である。
そして、
八月十五日には七郷の氏子総代が親村である中峠村芝原に集まって談合協議を行う慣例が大正末期まで行はれていた。
その祭礼は「芝原の焙烙まち」ともいはれている。
そして、
寛政の頃から(一七八九年〜一八〇〇年)七郷による「奉納相撲」が行はれていた。
祭礼の日には大正の末期まで、
湖北小学校の生徒の全校参拝が行はれるなど、
誠に由緒深い神社である。
現在の社殿は、
平成二年十月一日に完成、
社殿は本殿幣殿、
拝殿からなり、
何れも銅板葺、
檜造りである。
本殿は、
神明造、
千木、
鰹木を備える。
水屋は銅板葺、
檜造りである。

《合祀》

明治四十年四月二十五日
浅間神社(二本榎旧在)
鹿島神社(鹿島前旧在)
雷神社(亀田旧在)
大六天神社(高根旧在)
山王神社(海老宿旧在)
明治四十一年十二月二十六日
稲荷神社(上溜台旧在)
足尾山神社(下根古屋旧在)

《石祠》

大杉大明神 寛政四年(一七九二年)銘
水神 文化三年(一八〇六年)銘
足尾大権現 文化一〇年(一八一三年)銘
月読命 明治七年(一八七四年)銘
石裂鎮座
加蘇山神社 明治十四年(一八八一年)銘
別雷命 明治四〇年(一九〇七年)銘
大山祇命 明治四〇年(一九〇七年)銘
その他 伊勢神宮 三峰神社 出羽三山 富士
大山等の参拝記念碑多数ある。

天照神社 境内 伊勢山天照神社由来 説明板

なかなか詳しく書かれていて、
参考になる。

鳥居から参道正面

中峠 伊勢山天照神社

鳥居からまっすぐ参道があるが、
参道の終わりの左手に石造物が並べられている

中峠 伊勢山天照神社

先には、
様々な記念碑が並べられている。

中峠 伊勢山天照神社


左手には、
手水舎

中峠 伊勢山天照神社

そして、
その先に社殿がある。

中峠 伊勢山天照神社

社殿の前には、
昭和八年(1933年)の狛犬

本堂の左手にあるのが、
二十一仏武蔵石板碑

中峠 伊勢山天照神社

説明板があったので、
読んでみる。

中峠 伊勢山天照神社

我孫子市指定文化財
『二十一仏武蔵石板碑』

関東地方に残る中世の石造物の中で最も多いのが板碑です。
板碑とは主として死者の追善供養や、
自らの現世安穏後生善処を祈願して建立したもので、
後には墓石を兼ねるものも見られます。
大きく武蔵板碑と下総板碑に分けられます。
武蔵板碑は、
秩父地方に産出する緑泥片岩を素材としています。
頭部を山形にして中央に仏・菩薩の画像や種子を彫り、
その下に造立の趣旨や年号あるいは戒名などをしるした板状の石塔婆です。
千葉県下では利根川中流域から東京湾岸にかけて広く分布しています。
二十一仏石塔婆は全国的にも少なく、
埼玉県大宮市を中心に発見されています。
その分布範囲は狭く、
我孫子市(中峠)はその東限になります。
二十一仏信仰は平安時代に始まりました。
比叡山の二十一社の諸神を、
仏教の如来・菩薩・明王・天の主なものにあてはめて本地仏としたものです。
この二十一仏石塔婆は天正九年(一五八一年)十一月の作で、
中世の宗教資料としても貴重なものです。

平成七年五月十一日に我孫子市指定文化財として指定されました。

【仏の配置図】

平成八年三月
我孫子市教育委員会

二十一仏武蔵石板碑 説明板

仏の配置図と実際の板碑を照らし合わせようとしたが、
薄くてよく分からなかったのが残念。

というわけで…

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市中峠地区から。

前回の中里 庚申堂からは、
自転車で1分ほどのところにあるのが伊勢山天照神社

ここで見るべきは、
やはり天正九年(1581年)につくられた二十一仏武蔵石板碑だろう。

実際に線刻のそれぞれの仏はハッキリとわからないのだけど、
配置図を見ながら確認するのはなかなか面白かった。

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