岡発戸新田 八幡神社

岡発戸八幡神社

我孫子市 岡発戸新田地区

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市岡発戸新田地区から。

岡発戸新田はこんなところ

我孫子市岡発戸新田は、
新田と付くように干拓地でかつては手賀沼だったところ。

岡発戸は、
前回出てきたようにアイヌ語のフット(2つの丘陵の間に小川が流れ込んでいるような所)が語源

発戸の中でも丘陵部にあったので、
岡発戸となったという説がある。

今の手賀沼遊歩道の滝下広場から五本下松橋あたりが、
この地区に含まれる。

自転車でこの遊歩道はよく走るところで、
なかなか気持ちの良い場所なのだ。

岡発戸新田地区 MAP

それで岡発戸新田は、
地図だとこんな感じで岡発戸地区の南にある。

ここには新四国相馬霊場八十八ヶ所札所はないけれど、
早速周辺スポットということで岡発戸新田 八幡神社

新四国相馬霊場八十八ヶ所36番滝前不動からだと
自転車で2.3分くらいのところ。

岡発戸新田 八幡神社

場所はハケの道沿いではなく、
手賀沼ふれあいライン沿い。

農地に用水を分配する、
手賀沼土地改良区滝下揚水機場のお隣だ。

概要

岡発戸新田 八幡神社、
その創建年代は不詳

でもまあ、
岡発戸新田開発に伴って鎮守社として祀られたのだろう。

岡発戸新田自体は、
寛文年間(1661~73年)あたりにできたようだ。

祭神は、
誉田別命

元々周りは田んぼに囲まれていた(今もそう変わらないけれど)というが、
手賀沼ふれあいラインができた昭和四十九年(1974年)新築されたらしい。

ただこの神社、
門にも鳥居にも社殿にもどこにも八幡神社と示すものがない

まあ地図には八幡神社と出ているので、
八幡神社で間違いないんだろうけどそうだとハッキリわかるものは何もない

社殿

社殿の中を覗かせていただくと、
本殿があり石祠が祀られている。

岡発戸八幡神社

神社後方

この神社の裏は今でも田んぼで、
その先が手賀沼遊歩道になっている。

そして、
その先は手賀沼だ。

岡発戸八幡神社

ある意味、
ここはかつては手賀沼だったところにある神社なのだ。

500年前の丸木舟

社殿側面の壁に、
何か古い木片が吊り下げられている。

岡発戸新田八幡神社丸木舟

実はコレ、
大正十二年(1923年)関東大震災時手賀沼底から掘り出された丸木舟5艘のうちの1つだそうだ。

杉村楚人冠は、
著書湖畔吟まずは一千年前の日本人の作ったものであろうとしている。

でも実際は、
500年程前くらいのものらしい。

岡発戸新田八幡神社丸木舟

説明も何もなく、
吊り下げられているだけなのでこれが丸木舟の一片と知っている人は少ないかもしれない。

まあ知らなければ、
ただの木片くらいにしか思わないよな。

岡発戸新田 八幡神社 石造物

敷地内には、
さまざまな石造物がきちんと並べられている。

手水鉢

鳥居の手前左には、
文久元年(1861年)の手水鉢がある。

岡発戸八幡神社

ここに水を張る仕組みはなく、
ただ手水鉢があるだけだ。

よく考えたら今更だけど、
こういったただ存在しているだけで機能していない手水鉢が多いことに改めて気付く。

狛犬と灯籠

大正十三年(1924年)の鳥居を抜けると、
参道の両脇にいろいろと並んでいる。

岡発戸八幡神社

先ず、
少しふくよかな感じの昭和十六年(1941年)の狛犬

奥に見える常夜灯嘉永三年(1850年)のものを改め新設した、
昭和五十六年(1981年)のもの。

参道右手の石造物

境内右手から見ていくと先ず年紀不明文字庚申塔があるが三猿はなく、
台座には氏子中とある。

岡発戸八幡神社

その隣には女人講中とある文久元年(1861年)の玉垣
そして天保8年(1837年)待道権現の石祠

他のものは玉垣には囲まれていないのに、
待道権現だけがこういったスタイルなのはスタンダードなんだろうか?

岡発戸八幡神社

次の石祠は不明のもので、
その横はこれも三猿が見当たらない寛政二年(1790年)の文字青面金剛塔

と思いきや、
よく見ると微かに三猿が見えなくもない。

奥に見えるのは、
崩壊した灯籠の一部だろうか。

岡発戸八幡神社

参道左手の石造物

参道左手は、
2列であれこれと並べられている。

1列目手前は、
弘化三年(1846年)の見事に斜めに割れてしまった多分青面金剛塔だろう、
何となく青面金剛のお顔の部分や三猿がうっすらと見える。

それにしてもどうしたら、
こんなにきれいに斜めにスパッと割れてしまうのだろう?

岡発戸八幡神社

更に年紀不明の石祠は、
という文字があるようなないような…道祖神かもしれない。

天神宮、
と読める年紀不明の石祠

そして、
文政八年(1825年)の二十三夜塔

2列目は左から大正十三年(1924年)尾鑿山登山記念碑、
昭和八年(1933年)と大正七年(1918年)の伊勢参宮記念碑

岡発戸八幡神社

そして、
明和七年(1770年)青面金剛塔

岡発戸八幡神社

お決まりではあるが、
かなり白苔に浸食されてしまっている。

それでも、
青面金剛のお顔も邪鬼も三猿も何とか見られる状態ではある。

その後も大正八年(1919年)の水神宮石祠や昭和十九年(1944年)の新築落成記念碑
平成二年(1990年)の天皇即位礼記念塔などが並ぶ。

見るべきものが満載というわけではないけれど、
滝前不動堂を訪れたのならここも一緒に見ておきたいところではある。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
新四国相馬霊場八十八ヶ所36番滝前不動堂の近くにある神社

自転車なら、
2・3分ですぐに到着

近いんだけれど、
岡発戸地区ではなく岡発戸新田地区

かつては手賀沼だった場所で、
寛文年間(1661~73年)あたりにできた干拓地にある八幡神社をお届けしました。

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