地蔵院
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
新木地区にある25番札所地蔵院。
真言宗豊山派 寿栄山 地蔵院は、
明治六年(1873年)には廃寺になっている。
ただ明治三十年(1897年)から同三十五年(1902年)の頃、
千体地蔵の奉納が東京の下町や郡部の人びとによって盛んに行われたようだ。
その千体地蔵は、
地蔵堂の中に安置されている。
この地蔵堂、
正面がガラス張りなので何時でも本尊をはじめ諸仏と千体地蔵が拝めるようになっている。
実際にはこの千体地蔵は、
1,200体以上あるらしい。
23~24cm の松を縦二つに割り一木造りの像に彫り、
顔は肌色で衣は墨塗りで鉄線の輪の光背が付いている。
この光景は、
なかなか圧巻だ。
さて、
石造物をあれこれと見ていこう。
入口には、
最近やたらと出てくる鯖大師万人講の標石。
そして、
新四國二十五番の標石。
元境内の右側の青いトタンの塀沿いに、
記念碑的なものを中心にいろいろある。
3基の不明な石祠、
真ん中のものは享和三年(1803年)とある。
年代不明、
青面金剛塔はショケラ持ち。
昭和三十九年(1964年)に地蔵講中により護摩道具が新調寄進された時のものだろう、
地蔵講護摩新調紀念碑。
お隣は、
三界萬霊塔。
昭和九年(1934年)、
霊堂改築記念碑と敷石敷設記念碑。
久しぶりに見た気がする、
猿田彦大神塔。
相馬霊場巡拝碑に南無阿弥陀仏塔に、
百度石。
敷地内左のブロック塀の前にも、
これまたいろいろと並んでいるが墓碑も混じっている。
先ずは、
新四國大師道道標。
寛政元年(1789年)、
光明真言壹千万遍成就塔。
八萬四千體之内六萬六千六百壱号、
と刻まれた地蔵尊。
八萬四千體之内六萬六千六百貮号、
と刻まれた地蔵尊。
これは上野浄名院住職地蔵比丘妙運和尚が発願した、
八萬四千体地蔵のうちの2基。
浄名院には相当数の地蔵尊があるが、
それ以外の場所にもあちこちに存在するのだ。
隣には、
その地蔵比丘妙運和尚の名がある線彫地蔵を刻んだ石碑。
石地蔵八万四千躰造立發願主、
天台地蔵老比丘七十ノ五妙運拝寫とある。
元禄九年(1696年)、
丸彫りの地蔵尊。
線彫地蔵と、
南無大師 奉供養四國八十八ヶ所土砂 遍照金剛とを刻んだ石碑。
寛延四年(1751年)、
十九夜念佛供養 新木村講中 造立とある如意輪観音十九夜塔。
寛文十二年(1672年)、
縁に観音寺/導師正泉寺/日秀村/新木村とある三猿庚申塔。
元文四年(1739年)、
六臂でショケラ持ちの青面金剛塔。
山神、
と刻まれた石塔。
元禄八年(1695年)、
青面金剛王 敬白と刻まれた青面金剛塔。
延宝七年(1679年)、
十六夜念沸二世安楽所/同行貴賤老若善女四とある十六夜念仏塔。
寛延四年(1751年)、
ショケラ持ちの青面金剛塔。
奉供養青面金剛尊/新木村、
講中十七人とある。
元文四年(1739年)、
ショケラ持ちの青面金剛塔。
同行六人と、
少な目。
25番
新四国相馬霊場八十八ヶ所25番の大師堂は、
地蔵堂の隣にある。
というわけで…
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は新木地区。
新四国相馬霊場八十八ヶ所25番、
真言宗豊山派 寿栄山 地蔵院。
上野浄名院住職地蔵比丘妙運和尚が発願した、
八萬四千体地蔵のうちの2基がここにひっそりとあるのにはちょっと驚くな。
そして地蔵堂にずらりと並んでいる1,200体以上の千体地蔵は、
まさに圧巻だった。
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