東 八坂神社 3番

取手市東 八坂神社 3番

取手市東地区

さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング

今回は、
取手市東地区から。

東地区は、
取手地区の隣

東MAP

東 八坂神社概要

取手市東 八坂神社 3番

それで今回訪れるのは、
茨城県取手総鎮守八坂神社

取手市東 八坂神社 3番

ここは、
新四国相馬霊場八十八ヶ所第3番でもある。

八坂神社の由緒は、
境内に案内板があるのでそれを読んでみよう。

取手市東 八坂神社 3番

市指定文化財 八坂神社(本殿・拝殿)

当神社は、
寛永三年(一六二六)の創建で、
御祭神は素盞嗚命です。
拝殿は、
天保三年(一八三二)の建築、
鳥居は宝永四年(一七〇七)の建立です。
本殿は一間社流造りで、
明治三十九年(一九〇六)の建築です。
本殿の基壇には、
彫刻師として名工後藤縫殿之助・保之助(縫殿之助の二男)の刻銘がありますが、
縫殿之助は明治三十四年(一九〇一)に亡くなっており、
保之助は兄の後藤桂林を頼り、
寺田松五郎・高石伊八郎らと共に完成しました。
向拝の龍の彫刻の裏には「寺田松五郎」、
本殿板壁には「後藤桂林」の名が刻まれています。
かつては陰暦六月十七碑より三日間が例大祭でしたが、
昭和三十年(一九五五)からは、
八月一日より三日間となりました。
御輿は、
氏子である上町・仲町・片町の若衆が毎年輪番制で担ぎ、
初日と三日目に渡御し、
その姿は荒御輿とも称されています。
文政九年(一八二六)五月の作である御輿の大きさと重量は、
関東一と言われています。

昭和五十六年二月指定 取手市教育委員会

市指定文化財 八坂神社(本殿・拝殿)案内板

鳥居と狛犬

取手市東 八坂神社 3番

旧水戸街道(国道11号線)沿いに、
鳥居とその手前の左右の獅子山狛犬

石灯籠と手水舎

拝殿まで参道がまっすぐ伸びていて、
途中には石灯籠が並ぶ。

灯籠は参道に5対もあるんだけど、
狛犬は鳥居前のみにしかない。

そういえば神社への他の入口があるけど、
鳥居も最初のものだけ。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
入って最初の石灯籠

取手市東 八坂神社 3番

基礎台には、
明治四十年(1907年)とある。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは2番目のもので、
片方は明治三十六年(1903年)とある。

取手市東 八坂神社 3番

もう片方には、
平成二十三年(2011年)とある。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
3番目のもの。

取手市東 八坂神社 3番

1・2番目のものよりも、
もう少し古くなる。

取手市東 八坂神社 3番

文政十三年(1830年)?
とあるのかな?

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
4番目のもの。

取手市東 八坂神社 3番

更に古くなって、
文化四年(1816年)のもの。

取手市東 八坂神社 3番

そして拝殿に1番近い、
5番目のもの。

取手市東 八坂神社 3番

これは、
更に古い。

取手市東 八坂神社 3番


寛保三年(1743年)のものだ。

取手市東 八坂神社 3番

参道途中右には、
手水舎

取手市東 八坂神社 3番

手水鉢は、
文化五年(1817年)のもの。

取手市東 八坂神社 3番

拝殿と本殿

取手市東 八坂神社 3番

天保三年(1832年)の拝殿の脇を行くと、
本殿がある。

取手市東 八坂神社 3番

この本殿の彫刻が、
なかなか素晴らしいのだ。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
神功皇后

取手市東 八坂神社 3番

ちゃんと彫刻の場面の説明板があるのが、
嬉しい。

取手市東 八坂神社 3番

神功皇后

熊襲征伐のため筑紫に出向いた夫君、
仲哀天皇は、
香椎宮で急死してしまいました。
すでに身ごもっていた神功皇后のお腹の子が、
皇子であることを知っている神(住吉大神)は、
神功皇后に対し「仲哀天皇がなしえなかったことを、その胎中の皇子がなす」と神託を下しました。
神の御意のまにまに従う神功皇后は、
妊娠中でありながら、
武内宿称とともに朝鮮半島に出陣し、
新羅を討ち、
また百済・高句麗をも帰服させ、
帰国後に宇美で応神天皇をお産みになりました。
その後、
大和に帰り、
応神天皇が即位する西暦270年まで摂政を行い、
百歳で亡くなりました。
これが「記・紀」に記されている神功皇后のあらましであります。
こうした神功皇后のあり方は、
わが子を守り、
助け、
立派に育てていく日本女性の象徴とされております。
彫刻は、
安曇磯良の神楽の場面。
安曇磯良は古代の海の精霊。
イソラの出現の様子は『太平記』巻39に「阿度部の磯良」の名で語られています。
それによれば、
神功皇后が新羅を攻めたとき諸神招いたが、
イソラだけは醜い容貌を恥じて応じなかったため、
諸神が歌舞を奏して誘い出した。
やがて、
海底の竜宮城から潮の干満の霊力を持つ秘宝(干珠・満珠)を借り請けて献上し、
皇后は新羅を討つことに成功したという。

神功皇后 説明板

こちらは、
天の岩戸の場面の彫刻。

取手市東 八坂神社 3番

天の岩戸
説明板

取手市東 八坂神社 3番

■天の岩戸

高天原で行った素盞嗚命の悪戯に怒った天照大神が天の岩戸に隠れてしまい、
高天原、
常世の国(地上の世界)は真っ暗闇になってしまいます。
八百万の神々は相談をして、
何とか天照大神を岩戸の中から引っ張り出そうとします。
岩戸の前で天鈿女命が楽しそうに踊り、
神々は常世の長鳴き鳥(にわとり)を鳴かせて、
朝を模倣したり楽しく宴を開きました。
手力雄神が岩戸の陰に隠れ、
折をみて怪力で岩戸をこじ開けようとしています。
外の騒ぎは何事かと、
天照大神が岩戸の中から外を覗き込んだ時、
鏡を見せて、
鏡に映った姿に天照大神は自分以外に光を放つ神が現れたのかと勘違いします。
手力雄神はすかさず岩戸をこじ開け、
天照大神を外に引っ張り出すことに成功しました。
これにより高天原、
常世共に光を取り戻すことができました。
この彫刻は、
まさに天照大神が隠れた天の岩戸を手力雄神がこじ開けようとした場面が描かれています。
岩戸の前では天鈿女命が踊り、
常世の長鳴き鶏が泣き声をあげています。

天の岩戸 説明板

こちらは、
日本武尊蝦夷征伐の場面の彫刻。

取手市東 八坂神社 3番

日本武尊蝦夷征伐
説明板

取手市東 八坂神社 3番

日本武尊蝦夷征伐

日本武尊は、
東国に蝦夷征伐にやってきたとき、
敵にだまされ、
森の中で火を放たれます。
日本武尊は、
天照大神から授かった『天叢雲の剣(素戔嗚命が八岐大蛇を退治した時に尻尾から出てきた霊剣で、天皇家三種の神器のひとつ)』で、
周囲の草を薙ぎはらい、
伊勢の倭姫から授けられた火打ち石ではらった草に火をつけると、
それが向かい火となって、
周りの火が鎮まり、
日本武尊は難を逃れます。
彫刻は、
天叢雲の剣で、
周囲の草を薙ぎ払い、
同じく倭姫から授けられた火打石で払った草に火をつけると、
それが向かい火となって、
周りの火が鎮まり、
日本武尊は難を逃れたという場面です。

日本武尊蝦夷征伐 説明板
取手市東 八坂神社 3番

少し離れた所からしか見ることはできないが、
それでもその素晴らしさは見る価値がある。

境内社とか

境内には境内社とか、
いろいろとあるので見ていこう。

参道右に最初にあるのが、
稲荷神社

取手市東 八坂神社 3番

その左に、
三峯神社

取手市東 八坂神社 3番

その左脇には、
石造物が並ぶ。

取手市東 八坂神社 3番

文政十年(1827年)稲荷神社石祠を始め石祠がいっぱいの中に、
自然石型文字庚申塔もある。

取手市東 八坂神社 3番

次は、
大杉神社

取手市東 八坂神社 3番

更に、
三峯神社などの石祠

取手市東 八坂神社 3番

その先には、
皇大神宮

取手市東 八坂神社 3番

更に。
聖徳太子神社

取手市東 八坂神社 3番

参道左手にも、
稲荷神社

取手市東 八坂神社 3番

水神社と、
水天宮

取手市東 八坂神社 3番

中には、
それぞれの石祠

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
子どもの健やかな成長を願う健育塚

手前には、
お食い初めで使った歯固めの石を納められている。

取手市東 八坂神社 3番

花ひらく
さくらみくじ

取手市東 八坂神社 3番

そういえば、
社務所まえにはこんなおみくじもあった。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
秋葉大権現

取手市東 八坂神社 3番

文化元年(1804年)甲子
とある。

取手市東 八坂神社 3番

またもや、
稲荷神社

取手市東 八坂神社 3番

左脇には、
赤羽根稲荷大神宮石祠とか。

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
聖徳太子像?

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
水神宮

取手市東 八坂神社 3番

こちらは、
二十三夜塔

取手市東 八坂神社 3番

裏には、
新四國大師道道標

取手市東 八坂神社 3番

脇には、
倒れてしまってる八幡宮の石祠。

取手市東 八坂神社 3番

こちらも倒れてしまっていて、
大黒天とある。

取手市東 八坂神社 3番

3番

取手市東 八坂神社 3番

境内左奥には、
新四国相馬霊場3番の大師堂

取手市東 八坂神社 3番

説明書きが、
置かれている。

取手市東 八坂神社 3番

御詠歌額は、
2つ。

中は、
こんな感じ。

取手市東 八坂神社 3番

周辺には、
大師道道標とか。

取手市東 八坂神社 3番

金剛塔
とあるものとか。

取手市東 八坂神社 3番

お地蔵様とか八十八ヶ所関連のものとか、
いろいろ。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市東地区から。

茨城県取手総鎮守であり、
新四国相馬霊場八十八ヶ所第3番である東 八坂神社

ここの本殿の彫刻はなかなか素晴らしく、
必見である。

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