湖北台 正泉寺 73番

湖北台正泉寺

湖北台地区

さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリング

今回は、
湖北台にある札所。

湖北台はこんなところ

湖北台は、
こほくだいと読む。

まあ、
これは普通に読めるのかな?

元々は、
岡発戸・都部・中峠・中里・中里新田の各一部

公団が造成した住宅地で、
手賀沼の北に位置するから湖北なんだろう。

湖北台地区MAP

地図だと、
都部地区の間にある感じ。

JR成田線の駅、
湖北駅の南に位置している。

湖北台 正泉寺 73番

湖北台正泉寺

その湖北台には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所札所がある。

それが、
曹洞宗 大龍山 正泉寺

概要

ここは鎌倉執権最明寺入道北条時頼の息女法性尼(桐姫)の為に、
弘長3年(1263)真言宗法性寺と号して創建

君津真如寺の俊峰周鷹が
曹洞宗に改めて開山したという。

この正泉寺七世竹巌宗嫩岡発戸白泉寺開山の方でもあり、
滝前不動堂建立の方でもある。

昔々の参道は手賀沼湖畔まで続いていた
というのだからすごい。

門周辺の石造物

門の手前には、
地蔵利生日本最初龍宮出現血盆経道場と刻まれた石塔

湖北台正泉寺

逆側の囲われた一角には、
観音経を十万回唱えた記念に建てられた普門品十萬巻供養塔

湖北台正泉寺

元治紀元甲子年十月吉祥且と側面にあるので、
1864年のものだ。

湖北台正泉寺

参道の石造物

かなり長い参道には、
本当にいろいろとある。

湖北台正泉寺

まず入って右手には、
扁額に都部稲荷大明神とある赤い鳥居

湖北台正泉寺


石祠が祀られており、
囲いには真言が書かれた説明札

湖北台正泉寺

稲荷真言(荼枳尼天)
真言とは、
仏の誓いや教え、
功徳を秘めている呪文的な語句を言う。
◎左記の言葉をお唱えします。
三辺もしくは七辺、
買いを増すほど有難し。

オン シラ バッタ ニリ ウン ソワカ

湖北台正泉寺 都部稲荷神社 説明札

その脇にあるのが、
3基の石仏がなかなかきれいに残っている。

湖北台正泉寺

左から、
安永二年(1773年)の馬頭観音坐像

湖北台正泉寺

真ん中は、
文政十一年(1828年)の文字馬頭観世音塔

湖北台正泉寺

右が安永四年(1775年)の名号塔で、
如是畜生發菩提心(おまえは畜生だが菩提心をお持ちなさい)とある。

湖北台正泉寺

両脇には、
最近のものなんだろうけど一六羅漢が並んでいる。

十六羅漢はお釈迦様の弟子の中でも
特に優れた代表的な16人の弟子のこと。

これはこれで、
表情豊かで姿も様々で見ていてなかなか楽しい。


参道を進むとやがて右には、
安永三年(1774年)不許葷酒入山門の結界石

湖北台正泉寺

側面には、
血盆経出現道場

湖北台正泉寺

左には、
四国七十三番移と刻まれた標石

その先にも、
いろいろ。

鐘楼門周辺

先には、
天保十三年(1842年)頃の鐘楼門

湖北台正泉寺

脇には、
百番供養塔などなど。

湖北台正泉寺

鐘楼門を抜けると、
門の納戸内に自然石が2基

湖北台正泉寺

文政十年(1827年)
手水鉢

あとは、
まあこんな感じでいろいろだ。

そして、
正泉寺の血盆経信仰資料の説明板

湖北台正泉寺

これで、
やっといろいろと少しは知ることができる。

千葉県指定文化財
正泉寺の血盆経信仰資料

曹洞宗の正泉寺は、
弘長三(一二六三)年創建、
鎌倉幕府執権北条時頼の娘桐姫(法性尼)が開基と伝えられます。
戦国時代に曹洞宗寺院として再興され、
江戸時代初期に多くの修行僧が参禅する大寺院になりました。
しかし明和元(一七六四)年の大火で堂舎は焼失し、
その後の再建・修築によって現在に至っています。
正泉寺は、
女人救済の寺として、
多くの女性の信仰を集めてきました。
女性は、
出産や生理による血のケガレによって成仏することは難しいとされていました。
血の池地獄に堕ちた女人の救済を説く小経を『血盆経』といいます。
応永二十四(一四一七)年に、
この『血盆経』が手賀沼から出現し、
当寺に収められたと伝えられ、
「日本最初女人成仏血盆経出現第一道場」と称されました(『血盆経縁起』元文元(一七三六)年)。
紀州徳川家息女桂香院が、
天明三(一七八三)年に書写奉納した紺紙金泥血盆経は、
三葉葵を記した黒漆塗り経箱に納められた華麗なものです。
また六十八種にも及ぶ版木で刷られた『血盆経』の経文、
縁起、
法性尼像、
護符、
地蔵御影などのお札が、
救済を求めて全国から参詣に訪れる女性たちに授与されました。
これら「血盆経信仰資料」は、
江戸時代の幅広い階層の女性たちの進行を示す資料として、
また、
女性史を考える上で非常に重要であり、
平成十年三月二十日に千葉県指定文化財有形民俗文化財として指定されました。

指定名称「正泉寺の血盆経信仰資料
指定内容 絵画 紙本着色女人成仏血盆経出現図 一幅
        紙本着色尼御寮法性尼消滅の図 一幅
        紙本着色血盆経地獄絵図 一幅
     典籍 紙本墨書血盆経縁起 一巻
        紙本金泥血盆経 二巻(経箱一合付)
        版木 六十八点(七十八枚)

平成二十六年三月
我孫子市教育委員会
正泉寺。

正泉寺の血盆経信仰資料説明板

もちろん今ではちょっと考えられないような感覚だけれど、
こういった時代もあったわけで。

なんとも、
いろいろと考えさせられる。

73番

湖北台正泉寺

それで正泉寺73番大師堂は、
鐘楼門を入った左脇にある。

湖北台正泉寺

この大師堂も、
なかなか立派なものだ。

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
湖北台地区

湖北台地区には、
札所は1つ

鎌倉執権最明寺入道北条時頼の息女法性尼(桐姫)の為に、
弘長3年(1263)真言宗法性寺と号して創建された正泉寺

88 & 周辺ポタリング MAP

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コメント

  1. おれ より:

    「湖北」という地名は、現在の湖北駅の北東部にあった「湖北村」から継承したものです。松林を切り開いて造成したのが現在の「湖北台」で、その中心部に作ったのが「湖北台団地」というわけです。湖北台ができると同時に湖北村は消滅し、利根川の決壊でたびたび被害を受けいていた湖北村の住人が優先的に湖北台に移り住みました。

    ちなみに、旧湖北村の出身者に、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者の松本清氏がいます。

    • 〇〇hopper 〇〇hopper より:

      なるほど
      ありがとうございました!
      それにしても湖北村の湖北の由来は
      やはり手賀沼の北ということなのでしょうかね?

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