新木 葺不合神社 77番

新木 葺不合神社

新木地区の葺不合神社

新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング
今回は我孫子市新木地区にある札所葺不合神社77番

概要

新木 葺不合神社

葺不合神社葺不合は、
ふきあえずと読む。

我孫子市教育委員会掲示の葺不合神社の由緒が書かれている説明板によると、
こんな感じ。

新木 葺不合神社

葺不合神社

葺不合神社は国道三五六号線(旧成田街道、旧水戸道中)の北側の起伏に富んだ場所に設けられています。
神社境内には湧き水を集めた弁天池があり、
江戸期には弁天堂に市杵島比売命(弁才天)が祀られ「沖田の弁天さま」として賑わったと伝えられます。
現在の拝殿は江戸期の弁天堂で、
明和二(一七六五)年の棟札が見つかっています。
明治には厳島神社と改名しました。
明治三九(一九〇六)年以降進められた神社合祀政策によって、
東北約三〇〇メートル(新木近隣センター付近)にあった葺不合神社と二の鳥居がこの地に移築され、
元の葺不合神社を本殿、
厳島神社本殿を拝殿として「葺不合神社」と改称し、
現在に至っています。
拝殿は方三間の入母屋造で、
正面に一間の向拝を設けています。
明治時代に背面に格子扉を設けて神社としていますが、
長押より上に施された獏や唐獅子などの装飾彫刻は江戸時代中期の仏堂の特徴を示しています。
なお内陣正面には天女を描いた華やかな彩色画が伝えられています(盤面の彩色は剥落が顕著でしたが、残っていた塗料をもとに復元されたものです)。
本殿は明治三十(一八九七)年に建築されたもので、
一間社流造の小振りな社殿ながら全体に豊かな装飾彫刻が施されます。
胴羽目彫刻は八岐大蛇、
天岩戸など神話を題材としますが、
脇障子には明治時代の軍人も認められます。
この彫刻は江戸以来の彫物大工の系譜を受け継ぐ二代目後藤藤太郎(竜ヶ崎住、文久元年〜昭和六年)の手によるものです。
藤太郎は利根川流域で彫物大工として活躍し、
我孫子市内では長福寺大師堂(下新木)、
正泉寺本堂(湖北台)、
延命寺虚空蔵堂(布佐)で彫刻を手がけています。
葺不合神社は下新木地区の氏子、
住民により大切に維持管理されて今日に伝えられてきました。
本殿、
拝殿、
二の鳥居は平成二十四年三月に我孫子市指定文化財となっています。

平成二十四年三月 我孫子市教育委員会

葺不合神社説明板

祭神は、
鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)神武天皇の父神

母が鵜の羽で葺いた産屋を作り終えないうちに生まれたのでこの名がついた
ということらしい。

壱の鳥居周辺

新木 葺不合神社

国道365号線沿いに、
昭和八年(1933年)壱の鳥居があって周辺にはあれこれと石造物

左側最初は、
文政二年(1819年)の文字青面金剛塔

新木 葺不合神社

その横には、
享保十五年(1730年)の六臂合掌の青面金剛塔

奥には、
出羽三山供養塔

新木 葺不合神社

その隣には寛保元年(1741年)
大乗妙典六十六部日本回国塔

新木 葺不合神社

明治四十三年(1910年)
合祀紀念碑

新木 葺不合神社

他にもまた出羽三山記念碑とか敷石供養塔とか、
阿夫利神社碑とか鳥居再建記念碑とかいろいろ。

右側にも、
同じように敷石供養塔とかいろいろ。

弐の鳥居周辺

そして、
1度石段を下って行くとこんな感じ。

新木 葺不合神社

崩壊した
常夜燈

文化七年(1810年)
庚申供養と刻まれた手水鉢

何だかわからない、
安永五年(1776年)とある石塔。

新木 葺不合神社

そして、
我孫子市指定文化財になっている弐の鳥居

新木 葺不合神社

この鳥居は、
葺不合神社の旧境内に明治十五年(1882年)に建立されたものを移築したもの。

新木 葺不合神社

今度は、
先ほどとは逆に石段を上っていく。

新木 葺不合神社

石段周りには鯖大師万人講石塔や、
伊勢大々記念碑など。

拝殿周辺

上りきると、
二対の狛犬と一対の石灯籠

それとはべつの狛犬も、
脇にある。

新木 葺不合神社

機能はしていない、
手水鉢

新木 葺不合神社

拝殿

新木 葺不合神社

この拝殿は、
江戸中期明和二年(1765年)に弁天堂として建立された仏堂建築

新木 葺不合神社

明治維新で厳島神社の社殿となり、
葺不合神社が当地に遷座した後はその拝殿となった。

異体字で、
天女宮とある扁額

新木 葺不合神社

奥に見えているのは、
復元されたらしい天女の彩色画

新木 葺不合神社

拝殿の中を覗かせていただくと、
右手には八臂弁財天

元々は弁天堂なのだから、
本来は真ん中にあるべきなのに移されてしまったんだろう。

新木 葺不合神社

八臂弁財天
市杵島比売命
川の女神
祈願
弁才、知恵、財宝利得

新木 葺不合神社

そして中央には、
鸕鷀草葺不合尊

新木 葺不合神社

奥の扉は、
本殿へと続くようにあとから設置されたとか。

新木 葺不合神社

鸕鷀草葺不合尊
父 火遠理命(山幸彦)
母 豊玉毘売命(海の神の娘)
子 神武天皇(神倭伊波礼毘古命)
祈願
安産、育児、夫婦円満、五穀豊穣、豊漁

新木 葺不合神社

本殿

新木 葺不合神社

その本殿は、
拝殿の奥の石段を上がったところに覆屋に保護されてある。

新木 葺不合神社

明治三十年(1897年)築
同三十九年(1906年)の遷座の際に移築したもの

新木 葺不合神社

壁面全面に彫刻が施されていて、
なかなか素晴らしい本殿だ。

新木 葺不合神社

向拝柱の左右には、
見事な昇り龍と降り龍。

新木 葺不合神社

右側壁面は、
八岐大蛇退治の図

新木 葺不合神社

天照大神の弟素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して、
生贄にされそうになっていた奇稲田姫を救い出すところ。

新木 葺不合神社

裏側壁面は、
天の岩戸神集いの図

新木 葺不合神社

天照大神が隠れてしまった岩屋前で天鈿女命が舞い踊り、
騒ぎに天照大神が岩戸を開いた瞬間手力雄命が岩戸を投げ飛ばし世に再び光が戻るところ。

新木 葺不合神社

左壁面は、
神武東征の図

新木 葺不合神社

天下を治めるべき地を求めて日向から大和に東征し、
橿原に宮を定めて即位したという物語がベース。

新木 葺不合神社

檻のような中にあるので、
近付けないが彫刻はよくわかる。

新木 葺不合神社

本殿前には、
狛犬も。

覆い屋周辺は、
こんな感じ。

本殿の更に奥には、
鵜茅葺不合尊碑

新木 葺不合神社

その他石造物

本殿左を降りていくと、
蠶影山神社碑

新木 葺不合神社

北辰妙見菩薩は、
新旧並んである。

新木 葺不合神社

石祠が三基並んでいて、
左は水神宮で右も水神の文字で真ん中は不明の石祠

新木 葺不合神社

白山神社
とある。

新木 葺不合神社

石祠と、
石棒

新木 葺不合神社

享保十八年(1733年)
不明の石祠

新木 葺不合神社

77番

新木 葺不合神社

さて、
ここ葺不合神社は新四国相馬霊場八十八ヶ所77番でもある。

新木 葺不合神社

団地前の公園から入る、
小さな入り口の先には道標

新木 葺不合神社

新四國七十七番の標石は、
大正三年(1914年)のもの。

大師堂は、
二の鳥居の左手端の方にある。

新木 葺不合神社

というわけで…

今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
我孫子市新木地区の77番札所である葺不合神社

国道365号線沿いに壱の鳥居があり、
参道を行き1度石段を下りると窪地に弐の鳥居がある。

そしてまた石段を上ると、
弁天堂として建立された仏堂建築が拝殿になっている。

ここの本殿の彫刻は
一見の価値あり

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