我孫子市 久寺家地区
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング、
今回は我孫子市久寺家地区から。
久寺家地区はこんなところ
久寺家は、
くじけと読む。
平将門公家臣久寺家儀元が、
将門の没後この地に居を構えて耕地を開いたことかららしい。
久寺家地区 MAP
地図だと、
こんな感じ。
久寺家には、
新四国相馬霊場八十八ヶ所の札所は1つ。
久寺家 寶蔵寺
それが、
真言宗豊山派明王山寶蔵寺。
概要
その創建は、
元和三年(1617年)という。
宝暦3年(1753年)、
大谷口大勝院から龍泉寺末へ法流を改めたという。
鐘楼と本堂
階段を上っていくと、
右には鐘楼。
正面には
印象的な構えの本堂。
本堂右手は、
こんな感じ。
この正面の階段ではなく、
坂をもう少し進んだ右手にもう1つの参道。
その脇の参道から上がっていくと、
門柱の右先に六地蔵。
左は石造物が、
いろいろと並んでいる。
貞照院と刻まれている、
お地蔵様。
手前の石塔には、
東京弘惣講員一同とある。
その奥には奉納南無遍照金剛、
側面は魚がしだろうか?が刻まれたもの。
安永五年(1776年)、
新四國八十四番の標石。
これらの左の方には、
更にいろいろ。
大正十五年(1926年)と明治四十年(1907年)の出羽三山観音霊場供養塔に、
文久三年(1863年)普門品供養塔。
元禄十三年(1700年)、
十九夜塔。
寛文九年(1669年)、
反手如意輪観音の十九夜塔。
寛政十年(1798年)、
南無遍照金剛塔。
明治三十二年(1899年)普門品十萬巻供養塔、
昭和五十九年(1984年)出羽三山観音霊場供養塔。
元禄九年(1696年)、
三猿庚申塔。
平成九年(1997年)の馬頭観音塔と、
その右にある百観音巡拝碑と女人…と刻まれているもの。
その後ろに、
大東京市落語名人一同と刻まれたものなどが続く。
覆屋には、
延享二年(1745年)の馬頭観音塔。
その先の玉垣に囲まれているのは、
天保四年(1833年)需道大権現(待道大権現)。
需道の需は待の同訓で道を求めて待つことを意味するので、
待道と同じらしい。
回り込んで進むと、
覆屋に北向不動尊の表札がある。
詳しいわけではないのでわからないけど、
祀られているのは享保四年(1719年)笠付きの青面金剛塔。
境内の方に戻ってくると、
大師堂と思ったお堂の周りにもいろいろ。
これは大師堂ではなく、
中に天保十五年(1844年)十二月五日権大僧都法印尊と刻まれた台座に大師像が安置されている。
右側には手水鉢の奥に、
明治十三年(1880年)の八十八ヶ所と刻まれた灯籠と明治四十三年(1910年)の84番標石。
更に奥には、
安永九年(1780年)の十九夜塔など。
お堂の左側には、
明治三十九年(1906年)の御詠歌が刻まれた84番碑。
奥に見えるのは、
如意輪観音像。
他にも地蔵像に84番の標石、
百番供養塔。
84番標石が随分あちこちにあるけど、
境内右手の方でも大正三年(1914年)指差しのものを1つ発見。
84番
それで、
84番の大師堂は?というとこちら。
柱にも八十四番とあるのでこの建物なのかと思ったが、
奥の小高い場所にあった。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺のスポットポタリングは、
久寺家地区にある新四国相馬霊場八十八ヶ所札所。
84番、
真言宗豊山派明王山寶蔵寺。
ここは石造物がとにかくいろいろあって、
かなり楽しめる。
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