取手市新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポット
さて、
新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリング。
千葉県我孫子市と柏市の札所はすべて訪れたので、
今回からは茨城県取手市の方へ。
これまで訪れた札所は、
千葉県我孫子市26ヶ所+番外1ヶ所と千葉県柏市4ヶ所+我孫子市にある取手市飛地1ヶ所。
残りの57ヶ所+観覚光音禅師が余生を送った琴平神社は、
茨城県取手市にあるのでまだ4割弱しか訪れていないことになる。
まあ周辺のお寺や神社も訪れているので、
なかなか進まないのである。
取手市新町地区
それで取手市の最初は、
取手市新町地区。
取手市の玄関口で、
JR東日本・関東鉄道取手駅の西口の地域。
新町MAP
大利根橋
我孫子市青山と取手市新町を結ぶ国道6号線の橋、
大利根橋を渡って取手市に入るのだがこの橋が結構長くて全長は1,209m。
この橋は二代目で、
昭和四十九年(1974年)に架け替えられたもの。
利根川に架かる道路橋では、
最も長い橋なのだ。
渡っている途中に見つけた、
県境のプレート。
取手市新町 愛宕神社
橋を渡ってR6を挟んだ向かいの高台にあるのが、
新四国相馬霊場87番愛宕神社。
階段を上がる行き方の他に、
自転車ならば先に進んで脇の道路を上がって行ける方法がある。
概要
創建は、
元禄十五年(1702年)。
御祭神は、
過遇突智命。
御本尊は、
鎧甲冑姿の勝軍地蔵。
平将門公の後裔とされている、
大鹿氏の氏神と伝えられている。
元々は大鹿村(今の取手競輪場付近)にあったが、
水戸街道が整備された際にこちらに移転してきたらしい。
更に国道6号線開通により、
今は廃寺となった東福寺境内の石引墓地と分断されて今の場所にあるようだ。
87番
急な石段を上がって左手には、
87番の大師堂がある。
脇には、
新四國八十七番の札所塔。
脇には、
丸に卍が刻まれた手水鉢。
同じく丸に卍が彫られた、
賽銭箱。
御詠歌額には、
弘法大師と共に観覚光音禅師。
堂内は、
こんな感じ。
弘法大師だらけで、
5基もある。
どれも石像ではなく、
木像みたいだ。
真ん中に、
観覚光音禅師位牌。
大師堂の右側面には、
3基の石仏。
左2基は、
年紀不明。
どちらも、
子育地蔵。
1番右は、
寛政四年(1792年)愛染明王。
境内石造物
ちなみに石段前にあった鳥居はまだ新しく、
昭和四十六年(1971年)のもの。
狛犬一対は、
平成八年(1996年)と更に新しい。
今度は、
社殿裏の方に行ってみよう。
かつての大鹿村の氏神を祀った、
3連長屋形式のお堂がある。
北口妙見、
紙垂でよく見えないが妙見菩薩像らしき石像が祀られている。
仲間台妙見、
これも紙垂でよく見えない。
添弁財天、
中には万治二年(1659年)戊戌十月とある弁財天石祠。
お堂前には、
弘法大師千百年御遠忌記念碑。
鎌倉 鎖大師、
東京 共樂講とある。
隣にあるのは、
稲荷大明神。
中を覗かせて頂くと、
こんな感じ。
更に隣は、
神社名等は何もない、
ただ龍が祀られているし、
多分水神宮なんだろう。
そして、
この隣は石造物が少し残念な感じで重なるように並べられている。
年紀不明の天狗?に宮崎神社、
寛政六年(1794年)二十三夜供養塔に年紀不明出羽三山供養塔などなど。
上の写真の倒れている年紀不明お地蔵様の下の部分?
基礎台には地蔵尊とある。
貞享元年(1684年)、
文字青面金剛塔。
三猿が、
良く残っている。
年紀不明、
雷神宮。
手前は年紀不明お狐様一対と、
年紀・内容不明石祠。
年紀不明の句碑には、
鐘聞けば利根の夜風で冷え迫るとある。
手前は、
読めず。
明治四十一年(1908年)、
〇〇両宮石祠。
安永五年(1776年)、
十三夜得勢至菩薩とある十三夜塔。
年紀不明、
稲荷大明神などなど。
もう少し整理して並べてあると良いのだけれど、
こればかりは仕方がないのかなあ。
というわけで…
今回の新四国相馬霊場八十八ヶ所と周辺スポットポタリングは、
取手市新町地区から。
大利根橋を渡ったR6の脇の高台にある、
新四国相馬霊場札所。
第87番、
愛宕神社。
石造物は貞享元年(1684年)文字青面金剛塔をはじめとして、
かなりいろいろあって見応えもあるが重なり合うように並んでいてそれが少し残念な感じではある。
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