今年もまた見られた手賀沼彼岸花
昨年も手賀沼に咲く彼岸花のことを書いたけれど、
今年もまた手賀沼彼岸花の時期がやってきた。
あっという間でもあり、
長かったとも思える1年が過ぎてまたあちこちに彼岸花が咲く。
当たり前のように、
毎年見られるということは決して絶対的な当たり前ではない。
でも当たり前のように見られることは、
とてもありがたいことだ。
ふと思い出した、
北原白秋1911年(明治44年)6月発表抒情小曲集『思ひで』の中の詩と共に。
GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、
赤い、御墓の曼珠沙華、
曼珠沙華、
けふも手折りに來たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數。
GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、
ひとつ摘んでも、日は眞晝、
日は眞晝、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ、
何時まで取つても曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や、
赤しや、
まだ七つ。
この詩には、
山田耕作が曲を付けていて童謡としても知られている。
色々な解釈があるみたいだけれど、
どれが正しいのか?は創作者本人じゃないのだからわかりはしない。
あと山頭火の句もいろいろと、
思い出す。
まことお彼岸入りの彼岸花
かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く
なかなか死ねない彼岸花さく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
曼珠沙華咲いてここが私の寝るところ
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
さて、
当たり前はあとどれくらい続くだろうか?
コメント