手賀沼 彼岸花 2022

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今年もまた見られた手賀沼彼岸花

昨年も手賀沼に咲く彼岸花のことを書いたけれど、
今年もまた手賀沼彼岸花の時期がやってきた。

あっという間でもあり、
長かったとも思える1年が過ぎてまたあちこちに彼岸花が咲く。

当たり前のように、
毎年見られるということは決して絶対的な当たり前ではない。

でも当たり前のように見られることは、
とてもありがたいことだ。

ふと思い出した、
北原白秋1911年(明治44年)6月発表抒情小曲集『思ひで』の中の詩と共に。

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GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、

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赤い、御墓の曼珠沙華、

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曼珠沙華、

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けふも手折りに來たわいな。

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GONSHAN. GONSHAN. 何本か、

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地には七本、血のやうに、

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血のやうに、

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ちやうど、あの兒の年の數。

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GONSHAN. GONSHAN. 氣をつけな、

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ひとつ摘んでも、日は眞晝、

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日は眞晝、

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ひとつあとからまたひらく。

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GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ、

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何時まで取つても曼珠沙華、

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曼珠沙華、

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恐や、

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赤しや、

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まだ七つ。

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この詩には、
山田耕作が曲を付けていて童謡としても知られている。

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色々な解釈があるみたいだけれど、
どれが正しいのか?は創作者本人じゃないのだからわかりはしない。

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あと山頭火の句もいろいろと、
思い出す。

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まことお彼岸入りの彼岸花

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かたまって曼珠沙華のいよいよ赤く

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なかなか死ねない彼岸花さく

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歩きつづける彼岸花咲きつづける

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曼珠沙華咲いてここが私の寝るところ

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いつまで生きる曼珠沙華咲きだした

さて、
当たり前はあとどれくらい続くだろうか?

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