平和の記念碑と平和の灯と平和の折り鶴

平和の折り鶴

平和の記念碑

平和の記念碑
▲ 平和の記念碑

手賀沼公園の中には、
『平和の記念碑』がある。

平和の記念碑
▲ 記念碑に彫られた鳥

我孫子市は、
核兵器の廃絶と恒久平和を願って昭和60年(1985)12月に『平和都市宣言』を行っている。

平和の記念碑パネル
▲ 記念碑の解説と平和都市宣言

その平和のシンボルとして、広島市から爆心地に旧市庁舎の側壁と敷石を我孫子市原爆被爆者の会が譲り受け、
昭和61年(1986)8月に建立したものだ。

平和の記念碑パネル
▲ 記念碑建立までのあしどり

その後平成17年(2005)からは広島に、
平成2年(2009)からは長崎にも中学生を派遣して原爆の悲惨さや平和の尊さを若い世代に知ってもらおうという取り組みもしている。

平和の記念碑と平和の灯
▲ 陽光桜は平和の記念碑の後の方に植えられている

この記念碑のそばには、
『陽光桜』がある。

サクラ「陽光」バラ科
▲ 記念碑のすぐ後ろにある

戦時中に青年学校で教鞭をとっていた、
高岡正明氏が開発した桜だ。

サクラ「陽光」バラ科説明パネル
▲ サクラ「陽光」バラ科説明パネル

出征を見送った教え子たちの戦死を悼み、
『平和の象徴のさくらを世界に広めることが人生最大の仕事』と品種改良に20数年の情熱を捧げた方。

平和の灯

平和の灯
▲ 地球上から核兵器がなくなるまで燃やし続ける『平和の灯』

広島平和記念公園に、
『平和の灯』がある。

この火を譲り受け、
平成27(2015)年8月15日にその年の広島派遣中学生の手によって『平和の記念碑』のところに『平和の灯』として点灯。

平和の記念碑と平和の灯
▲ 記念碑の脇に灯された

この灯は、
地球上から核兵器がなくなるまで燃やし続けるというものだ。

平和の折り鶴

平和の折り鶴「貞子鶴」
▲ 平和の折り鶴「貞子鶴」の解説

アビスタの入口を入ったところに常設展示されているのが、
平和の折り鶴『貞子鶴』だ。

これは広島平和記念公園にある『原爆の子の像』のモデルといわれる佐々木禎子さんが、
生前に折った折り鶴だそうだ。

禎子さんは2歳の時に被爆も、
その後元気に成長。

しかし9年後の昭和29年(1954)、
小学校6年生の秋に突然病のきざしが現れ翌年2月に白血病と診断され入院。

回復を願って包み紙などで鶴を折り続けたが、
8か月の闘病生活の後昭和30年(1955)10月25日に亡くなっている。

この死をきっかけに原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、
昭和33年(1958)全国からの募金で平和記念公園内に建立されたのが『原爆の子の像』。

平和の折り鶴
▲ 貞子鶴

この折り鶴は、
我孫子市の平和事業に共感した禎子さんのご家族の方から市に平成27年(2015)に寄贈されたもの。

というわけで…

手賀沼公園泳ぐ鳥たち
▲ 鳥たちが泳いでいる姿は平和そのものだ

手賀沼公園には他にも広島市から被爆アオギリ2世、
長崎市から被爆クスノキ2世の苗木を譲り受けその年の長崎派遣中学生の手で植樹されたものもある。

▲ 被爆アオギリ2世

そんな手賀沼公園の風景は、
いつも平和そのものだ。

▲ 被爆クスノキ2世

この平和が、
当たり前ではない日々があった。

手賀沼公園風景
▲ War is over if you want it.

今だって平和なようで、
全然平和ではないのかもしれない。

全く平和ではない場所や、
人も大勢いるだろう。

手賀沼公園風景
▲ 平和の記念碑の傍に咲く椿の花

今日が命日のジョン・レノンはヨーコと共に『War is over if you want it.』と1971年に『Happy Xmas (War is Over)』で唄っていたけれど、
あれから50年も過ぎようというのに世界は全く平和になっていない。

WAR IS OVER!IF YOU WANT IT
▲ WAR IS OVER ! IF YOU WANT IT

核兵器が、
地球上から消える日はくるんだろうか?

全ての人が本当に望めば実現するはずだけど、
きっとどこかに望んでいない人たちがいるんだろう。

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